『読み解き般若心経』 伊藤 比呂美著
いやあ、実に実に面白かった。最後の方は目頭が熱くなった。
そもそもNHKの「こころの時代」で伊藤さんのお経の話を聞いたのが始まりだ。それで『いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経』を買って読み始めた。途中で図書館でこの本を見つけて時系列からいってもこちらが先かと思った。 それに「般若心経」は数少ない私が諳んじたお経でもあるし、「白骨」という御文(おふみ)も葬式で聞き慣れた文章であり、「歎異抄」もまんざら知らないわけではない。
死に近いご両親の介護をされながら「死」を考えざるを得なくなった伊藤さんは、様々なお経を読まれたようだが、詩人の言葉で現代語訳されたお経は切実に胸に迫ってきて感動的であった。そしてそれぞれのお経の間間に挟まれる身近なひとの死に係る話も胸に響いた。伊藤さんではないが、これで信仰心が熱くなるというものではないが、まぎれもなく人は「いつか死ぬ」それを忘れぬゆえの「お経」である。
伊藤さんの父親が、お母さんが亡くなった後に夢でお母さんに呼びかける話がでてきた。
「死ぬときゃ、あれかい、痛いかい?」
お母さんがどう答えられたかはわからなかったとあったが、私も姉の死の後、同じように夢で呼びかけたことがあった。夢の中で、「OO子」と姉に呼ばれたと思ったので
「そっちは、どうなの?」
と聞いたのだが返事はなかった。いっしょによくお寺参りをした姉には、冗談で先に逝ったら教えてねと言っていたが、やはり先はわからないのである。
「無常偈」を「常なるものは何もありません 生きて滅びるさだめであります 生きぬいて、滅びはて 生きるも滅ぶもないところに わたしはおちつきます」と伊藤さんは訳している。
「生きるも滅ぶもないところにおちつく」それならそれでベストではないか。
おとろえを数えて老いに向かふ冬
最近つくづく老いを自覚しています。今さら何をと息子などには言われますが、今さらですが、ここからが正念場です。