姉に別れる
昨夜、甥から電話があり、いよいよ姉がいけないらしいと知る。水が飲めなくなったが、拘束してまで点滴で入れることはしないという。施設が面会させてくれるというので、今朝早速出かける。
コロナでずっと面会が出来ず、二年ぶりの面会である。面差しはそれほど痩せたようにも思えなかったが、話すことはほとんどできなかった。小さな声で何かつぶやいたのだが、聞き取れない。呼びかけにかすかに微笑んでくれたのが、せめてもの救いだった。これが生きている姉との最後かもしれぬと思うと、われ知らず涙が出てきた。
親子ほど歳の離れた姉妹であり、さんざん世話になった。ありがとうね、お姉ちゃん。よく頑張って生きたね。幸せな一生だったね。
開け放されたドアの向こうではガチャガチャと昼の準備の音がしている。病院で死のうと施設で死のうと、自宅で死のうとそんなことはどうでもいいと言った養老先生の言葉を思い出す。
又明日会える人にするように、小さく手を振って別れてきたとたん、「死」はあっち側のものになってしまったが、しばしの別れ。いつかはだれもあっち側の人になる。何となく感じた後ろめたさを私はそんな言い訳で封印した。
死に近き姉の温もり秋時雨