代田

『発掘から推理する』 金関 丈夫著

 先日仏間の襖を張替えようと、今はTの書庫になっている隣の三畳間の本箱を動かした。それで見つけだしたのがこの本である。著者は既に亡くなって久しいらしいが、Tに言わせると「博覧強記」の人で、この本もなかなか面白かった。いくつかの小編に分かれているが、中でも特に興味を持ったものをいくつか記録しておきたい。

 一番は「十六島名称考」である。島根県に「十六島」という地名があり、海苔の名産地だというのはどこかで読んだ。「ウップルイ海苔」とネットにもあるし、「ウップルイ」と打てば「十六島」と変換もされる。アイヌ語の語感に似た不思議な名称である。様々な文献から考察されたことを、結論的に言えば語源は朝鮮語らしく「巨大な岩」という意味で、十六島岬の先にある経島のことらしい。「十六島」という文字が宛てられたのは、航海安全のために島に十六善神を勧請したといういわれがあり、島の名前が岬の名前に変わっていったと考えられると、著者の説である。いずれにしても古い時代から朝鮮半島との行き来があったということで、今よりはずっと自由でおおらかだったということだ。

 二番目に読まされたのは「竹原古墳奥室の壁画」考である。これは筆者も自信の一編らしく、あとがきで谷川徹三氏に褒辞を受けて感激した旨を書いておられる。竹原古墳は福岡の遠賀川流域にある古墳で、まだ行ったことはないが見事な壁画の描かれた古墳である。九州には装飾古墳が多いが、竹原古墳の壁画は出色の出来映えだと褒め称えたうえで、これは「水辺に馬を牽き竜種を求める」竜馬思想を描いたものだと断定されている。ネットで調べると常時公開されているようで、見学したいが無理であろう。動画があって詳細まで見られるので気になる方は検索してほしい。

 さて、記録しておきたいことはまだまだあるが、もうひとつだけ取り上げると、邪馬台国の方角についての考察「南は東だった」である。魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の位置が方角どおりに読み取ると、南海の真っ只中になってしまうというのは,よく知られたことである。そのためいろんな読み方が研究されたり、もともと誤記なのだとか言われてきた。そこで、魏志倭人伝の筆者が「ミナミ」と思った倭語は何であったかというのが、金関さんの目の付け所である。「日方」という古語があるが、「日方」とは日のさす方角で東あるいは南あるいは西南をいい、古来北九州では東をさしたという。(新村出博士の説)もし、古代九州人が邪馬台国は日方にあると言い、それを聞いた中国人がそれを南と誤解したことはありうるかもしれない。実際土佐では日方は南を指すらしい。しかし、「もちろんこれは可能性の問題である」と筆者は謙虚である。

 長くなってしまったが4月8日のブログでふきのとうさんに教えていただいた「ウワミズザクラ」についても面白い記述があった。「卜骨」の考察のところで骨に穴を開ける木は古事記以来「ハハカ」の木を用いる。この「ハハカ」なるものが「ウワミズザクラ」の木で、燃えつきやすく煙がでにくく卜骨には適していたらしい。。今年初めて私は知ったのが、古代から山野に生えるサクラの一種でポピュラーなものであることがわかった。もしかしたら万葉集に詠まれている天香久山のサクラとはこのウワミズラクラかもしれない。

 

 

 

 

          用水は哮れど代田少なかり

 

 

 

 うちの辺りの農業はどうなっているのだろうと思う。毎年耕作するという人が少ない。徒に水は流れているが、起こしもしないで草の生えるままの田が目立つ。

 

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ゼニアオイ 白

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ゼニアオイ 赤

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タチアオイ  これは園芸種。先の二種は雑草化している。