花蜜柑

『土に書いた言葉 吉野せいアンソロジー』 山下 多恵子編・解説

 図書館の開架で見つけた」吉野さんの一冊。アンソロジーで先によんだ『洟をたらした神』と重複するものが多いが、新しい気付きもいくつかあった。

 ここで読んだ「さいご」「暮鳥と混沌」(一部)「白頭物語」はせいさんの自伝のようなもので、青春時代から老年に至るまでの彼女の精神の流れを辿ることが出来る。それで分かったことは、彼女の文学的資質というものは、決して老年になって突然花開いたものではないということだ。十代のうちから内外の文学に親しみ、自らも筆を取って短篇小説も書いていたようだ。文才を認められ上京も勧められたが断わって悶々とする頃、後に伴侶となる混沌を紹介されたことは「暮鳥と混沌」に詳しい。

 さて、結婚し彼と始めた開拓は生半可なものではなかった。混沌は根っからの詩人で理想主義者でもあった。「白頭ものがたり」で彼女は自らを「畑中を狂い廻って、強い鼻柱でどこもここもひっくり返してつつき廻る」猪にたとえているが、混沌については次のように書いている。

「馬は情けなさそうにばさりばさりと尻尾で、ぶんぶん煩い虻のイヨ(せいのこと)を払いながらサルトルカフカをもぐもぐと青草のように噛みかみ、ぽこぽこと前足や後足で畑をのんびり掘ったり、砕いたり、ならしたり、時にはとことこと寂しそうに坂道を下りてどこか野原の方へ歩いてゆきます。」と。

こういう混沌との間には時には激しい確執が起きた。「家族には役立たぬ彼に代わって」「自分の肩の労苦に耐えて耐えぬくうちに」彼女は書くことも封印せざるを得なかった。

 そして、「さいご」は混沌の最期にまつわる一編である。彼女が「おそらく長い文学的空白を破るきっかけになった文章ではないか」と山下さんの解説にあるが、これを読んだ草野心平が彼女は書けると確信して、こう語りかけた。

「あんたは書かねばならない。・・・いいか、私たちは間もなく死ぬ。私もあんたもあと一年、二年、間もなく死ぬ。だからこそ仕事をしなければならないんだ。生きてるうちにしなければー。」

 この心平の力づよい説得に、全力で応えて書かれたのが一連のせいの作品だった。

 老いたせいは時には混沌に鬼婆のように怒りたった過去を振り返り、今は違う。「彼の忘我の足跡は、谷間のくぼみに溢れる清冽な清水のようなものではなかったか。」(水石山)と思うと。

 人の一生ということ、ともに夫婦で生きるということについても深く考えさせられた話であった。

土に書いた言葉―吉野せいアンソロジー

土に書いた言葉―吉野せいアンソロジー

 

 

 

 

        用水の水たうたうと花蜜柑

 

 

 

 

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