孕猫

『ぼくの家にはむささびが棲んでいたー徳山村の記録』 大牧 冨士夫著

 SUREの書籍案内でこの本を見つけた時、岐阜県人なのに徳山ダムのことはあまり知らないなと思った。もちろん一般的なこと、例えば紆余曲折の末にとうとうダムが造られたこと、ダムが日本でも最大級のロックフィルダムであること、計画当初の水利用が大幅に減少して今も都市部に導水することなく財政的にもお荷物になっていること、それからダム湖に沈んだ村々を撮り続けた増山たづ子さんのことなどなど、少しは知ってはいる。

 著者は徳山ダムに沈んだ村で生まれ、強制移住させられるまでそこに住んだ人である。(正確にはこの本の中では18歳で通信兵になるべく初めての出郷をされている)そして、この本はその故郷への思いの丈を延べたものだ。子どものころの川遊びやら労働の手伝い、親に聞かされた昔話、集落独特の方言、名字の付け方、宗教的行事、日々の食生活。決して豊かではないが貧しくもない、自然に恵まれ助け合いのある共同体の姿。

 余分なことかもしれぬが、著者は大学の学部・学科の大先輩でも教員としての先達でもある。江戸時代には同じ領主(旗本徳山氏)に支配されたという歴史的共通点もある。検索したら今年の1月にコロナによる入院と肺炎で亡くなられた(94歳)ということで、この時期にたまたま著作に出会ったのは不思議な縁だなあと思う。

 まあ、こういう個人的な感慨はともかく「徳山村」という超一級僻地ともいうところが、原始縄文時代から始まり、豊かな歴史を繋いできたということにまず驚いた。平野部ではすでに忘れ去られてしまった(最初からあったどうか)労働唄が歌われ、手厚い宗教的行事も行われていたようで、15歳ともなれば成人式ならぬ元服式で、素襖姿で烏帽子を受けるという伝統的な儀式をテレビでも写していた。が、今となっては形ばかりの伝統と言おうか。「ダムによって村が滅びるのか、滅びた村にダムがつくられるのか」と話題になったことがあったとあるが、さもありなん。筆者はダム建設には反対の立場だったが、ダム建設を渡りに船と思った人もあったようだ。

 一度「徳山湖」にいってみようと調べてもらったら、車でなら小一時間ほどで行けそうだ。新緑の頃にはダムの観光放水もあるという。

 

 

 

 

       

          汚れ顔してそそくさと孕猫

 

 

 

 

 

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ムスカリ

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スミレ

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産土の春祭