『死を受け入れること』 小堀 鷗一郎・養老孟司著
「生と死をめぐる対話」とある。以前にも書いたことがあると思うが対話集というのは読後感が乏しい。話が上手く噛み合っていないと、読み終わっても何だったかなあということになってしまう。この大御所の二人の対話も、あまり噛み合っていなっかた気がする。養老さんは早くにリタイアして今や趣味に生きる人である。テレビでもマルを相手に日向ぼっこをしながら「これが一番いいんだ」とかおっしゃっている。一方小堀さんはまだ現役である。自分で運転しながら在宅医療を実践しておられる。生と死のせめぎあいの現実は目の前の問題として常にある。違いはそれだけではない。養老さんはインターンの時三回医療事故を見て、この先何人殺すのかと怖くなって臨床医を辞めた人で、小堀さんは手術の結果を何勝何敗と割り切って腕を磨いてきた人でもある。
話が噛み合わないのはそんな違いもあるのかもしれない。まあそれでもお二人とも自分の死については拘泥しておられないのは一緒だ。
「『どこで死にたい』と予め考えていても、自分は変わります。今の自分は絶対ではありません。こういうふうにすればいいと言う人はいますが、教科書通りにいくはずがない。・・・誰も自分の死体を見ることはできません。だから何も心配することはないんです。」
養老さんの言葉である。
汝はなれや声ひびかせて小鳥来る