墓洗ふ

『「駅の子」の闘い』 中村 光博著

 長い梅雨とコロナのことがあり、いつの間にか「立秋」がきて原爆忌も過ぎてしまったという感じだ。こんな様子だと閉じこもってぼんやりしている間に、盆が来て八月も終わりそうだ。いつもの夏とは違いすぎるから淋しいうえに、なんだかよけいに歳をとった気がする。そんなことをグダグダ嘆いてもしかたがないから玄侑さんにならって揺らぎてこれも「風流」と過ごさねば・・・。

 さて「八月の読書」は、毎年戦争を振り返るものと決めている。まず一冊目は図書館の新刊コーナーで見つけたもので、NHKで放映したものを書籍化したものだ。副題に「戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史」とある。本土空襲やら大陸からの引き上げで親を亡くして孤児になった子たちがどれほどの苦しさの中から生きのびてきたかという貴重な証言集である。

 戦災孤児はどれほどだったか。23年の厚生省の調査では12万という数値が明らかにされてはいるが、正確かどうかは不明だという。敗戦直後は占領下で国家という体制も不完全で孤児たちへの手当も皆無であったから、自力で生き延びるしかなく、亡くなっていった子どもたちも多かっただろう。自力といっても幼子であり駅などで寝泊まりし残飯をあさり、野良犬同然であったという。誰もが生きることに必死だったから親戚などにも冷たい扱いをされ、人々からも白眼視されたことが飢え以上に辛かったとも言う。私が生まれ生きてきた戦後にこういう厳しい生き方を強いられた人々がいたということを忘れてはいけないと思う。

 「鐘の鳴る丘」というラジオドラマを聞いていたことがある。内容は忘れてしまったが主題歌は覚えている。あの話も戦災孤児の話だったのではないか。

 「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘がなりますチンコンカン メイメイこやぎも鳴いてます・・・」

 当時は事情もよくわからないままに聞いていたのではないか。

 

 

 

     

       父遥か母はさらなり墓洗ふ

 

 

 

 

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