うすもの

『エリザベスの友達』 村田 喜代子著

 「認知症」にはなりたくないな。自分が自分でなくなるような恐ろしさがある。我質の強い人間だから抑制がなくなったらどんなことになるだろうとも案じる。頭を使えばいいかというと、そうでもないらしい。認知症研究の第一人者でもなったりするのだから、予防といってもどうしたらいいのかわからない。その点では癌と同じだ。

 だけど、確か先週の新聞で読んだ気がするのだが、認知症はなってしまえば思うほど不幸なものではないという記事があった。誰の意見だったか忘れたが、何よりも「死」の恐怖から解放されるというのだ。この本にも癌になった認知症の老女の話がでてくるが、全く苦痛がないという。そこの件を引くと、

「こちらの施設で伺っても、ガンのお年寄りで、先生を呼んでモルヒネを処方して戴いたりするお年寄りは一人もいなかったとか。苦痛がないんだそうです。」

とあり、「認知症は喜びも感じないけど、心と体の苦痛の方も認知できにくくなるのでしょうか。」と登場人物に言わせている。

 さて、本の方だが、三人の認知症の老女の話でる。 三人とも戦争の苦労をくぐり抜け生きてきた世代だ。新しい記憶は抜け落ちて妄想の中でいつも帰っていくのは若かった日々。苦労もあったが甘美な想いもあった。なによりそこでは若くて元気だった。終日うつらうつらしながら夢を見続ける。時々何かに怯えることはあっても不安も淋しさもない。

 読んでいて姉のことを思い出した。こちらの病気とコロナ禍もありもう半年以上は会ってないがまさにこの老女らと同じ世代だ。若い頃運動ができて美貌にも自信のあった姉は「私は陸上選手なの、競争する?」と暗にどんくさい妹とは違うということを周りに仄めかしていたし、まだ電話の出来る頃には「また恋をしようかしらん」とも言ってた。認知症初期の取り乱した日常がうそのようなおおらかさというか、平穏というか、そうであったなあと思い出す。

 村田さんは去年読んだ『飛族』について二冊目である。池内さんがご贔屓だったから読んでみようと手にしたのだが、まあまあ読まされた。

 

 明日は当方の「認知症検査」である。結局免許返納になるかもしれぬが、とりあえず検査だけは受けておくことにした。

 久しぶりのお日様でほっとする。先程まで蝉が賑やかだった。

 

 

 

 

         棋聖うすものをきて清々し

 

 

 

 

エリザベスの友達

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