蜜蜂

『歌のわかれ』  中野 重治著

 中野重治は私にとって特別な作家である。半世紀も前のことだが、卒論の対象に選んだ作家だからである。しかし、その卒論は実にいい加減にしか仕上げられなかった。卒論以上のよんどころない事情も出来たし深く考える力も及ばず恥ずかしい出来でいまでも忸怩たる苦い気持ちがある。そのせいもあって、あれ以来中野重治は全く読まなかった。

 コロナで図書館がどこも閉館になり、しかたなく家の本棚を渉猟していて中野さんを見つけた。題名に懐かしさを覚えて読んでみて正解、半世紀前中野さんを選んだことは間違っていなかった。

『歌のわかれ』は彼の自伝的青春小説である。「鑿」と「手」「歌のわかれ」の三篇からなり、先の二編が高等学校時代、後の一編が大学に入ってからの話である。

 彼は高等学校を二年も落第した。二回目の落第の鬱々した春から卒業までの一年間、将来への不安と貴重な青年期を無為に過ごしてしまったという焦りが二編の主題である。

 

 「安吉には、まる四年半いたこの町に一きれのどきんとするような記憶もなかった。彼は勉強をしたか。しなかった。道楽をしたか。しなかった。恋愛をしたか。しなかった。この町に関するかぎり、なにか町の生活、場末の人々と親しくでもなったか。ならなかった。」

「結局おれは、精神の貧弱さから知らず知らずどたん場を避け、・・・窮地に落ちることなく一生を過ぎてしまうのではないか。」

 

 安吉はやっと震災後の東京に出て大学に入学する。だが大学も彼の期待を満たすものではなかった。ろくすっぽ授業にも出ず町をうろつき、あこがれの作家を訪ねたりもする。安吉は将来は作家になろうと決めてたのだ。が、その訪問は彼に落胆しか与えなかった。

 ある日彼は構内での短歌会のポスターを見出す。高等学校時代、なかなかの詠み手であった彼は詠草を携えて出てみたのだが甘ったれて緊張感のない歌会には不満しかなかった。

 

 「どの歌もどの歌も、巧みさということを取りのけて考えれば、安吉たちが田舎町でやっていた歌会のものにくらべてずっと格が落ちているように思えた。」

 「心をこめてつくった作品が、心をこめたことも入れて認められた時のほてるような恥ずかしさのまじった嬉しさ、そういうものは結局して安吉には感じられなかった。」

 

 帰路、彼はこれで「短歌ともお別れだ」と決意する。短歌的なものとの別れ、それが何を意味するか当人もわからなかったと書いてはいるが、情緒的なものとの別れはその後の彼の政治的社会的行動の一歩であったことはまちがいない。若かった日の私にはその決意が眩しかったような気がする。私達の時代も大学闘争一歩前の政治的時代であった。

 

 

 

 

 

           蜜蜂や羽音せわしき真昼時

 

 

 

 

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