秋澄む

沖縄 慰霊と観光と旧交を温める旅

 初めて家族で沖縄に行ってきた。沖縄に学生時代の寮友がいるH殿は前々から行きたがっていたのだが、こちらの気が乗らなくてのびのびになっていた。やっとその気になってプランを立てたら今回の首里城の災難である。間が悪いというしかない。

 気をとりなおし那覇市歴史博物館での国宝拝見などを入れたのだがあいにくそれも休館日と重なり散々。しかし、思ったより余裕もなくて南から北まで駆け足での三日間。慰霊もし、観光もし、さらにH殿は半世紀前の思い出も語り合った旅であった。

 

一日目

 飛行機での旅に慣れた人には何でもないことだろうが、今回は旅行会社を頼まず初めてネットで格安航空を予約してみた。丁度いい時間帯の航空券(大手の)が差額料金とかが加算されて随分高く、それで考えたわけである。結論的にいえば三分の一の料金で何も問題はなかったのだが最後の最後にどーんと差別を思い知らされたのでそれはそれで後で触れたい。

 「沖縄に行ったらまず慰霊だろう」というH殿の意見で空港からレンタカーで南に向かう。学生時代はH殿も当方も「沖縄を返せ」と歌った世代で、映画「ひめゆりの塔」も見た。1958年制作の最初の映画で津島恵子が出ていたのを覚えている。今調べると水木洋子脚本、今井正監督だったとあるがいつ頃見たのか、多分まだ小学生かせいぜい中学生で随分ショックだった記憶だけがある。

 さて、今の「ひめゆりの塔」は何台ものバスで訪れた修学旅行生で溢れていた。ノートを片手に熱心に記録している子もいれば、花束を買って供えている男子生徒もいてなによりも若い人が真摯に向き合っているのには好感が持てた。

 我々老人は彼等の後ろからちょこっと手を合わせただけで許してもらって、その後向かったのは摩文仁の丘、あの「平和の礎」のある平和祈念公園である。広大な祈念公園で戸惑っていたら電動カートが通りかかり、優しそうなお爺に「100円で案内するよ」と言われて渡りに舟で御願いする。

 歩いてはとても回れないと思う丘の上まで案内と説明をしてくださって「平和の礎」に24万という死者の名前が刻印されていること、沖縄県民だけでなく沖縄戦でなくなったとおもわれる日本中の人々の名や米軍兵の名も刻印されていることなどを再認識させられた。それにすべての都道府県の立派な慰霊塔があるということは初めて知った。それぞれの県が趣向をこらしてた慰霊塔を立てていて、県単位の慰霊祭も行われるというのでわれわれも岐阜県の塔に手を合わせた。

 追い詰められた人々が身を投げるしかなかったという断崖の果に静かに燃える「平和の火」。広島や長崎にも燃える「平和の火」だという。目を閉じ祈り平和の今の有り難さをつくづくと思った。

 

 

 

 

         秋澄むや祈るかたちに慰霊塔

 

 

 

 

 

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平和の火

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 岐阜県の慰霊塔