『失われたもの』 斎藤 貴男著
硬骨漢なジャーナリストだということ以外、この人のことはよく知らなかった。しかしこの本は何かについての解説本でも主張本でもない。生い立ちに触れたエッセイ集である。
「日本社会から『失われたもの』とは何だろう。平和と平等を願うこころ、自由、人権、真摯さ、恥を知る意識、人としての最低限の嗜み、本当の意で自律した生き方を許容する世の中のありよう?・・・」
例えば、東京の池袋で鉄屑屋の子として育った筆者。父はシベリアからの帰還兵であり母は東京大空襲の体験者、苦労はあったが、まだ高度成長期以前の自営業者が誇りを持って暮らしていける時代でもあった。ところがどうだ。最近は自営業などというのは絶滅危惧種に。辛うじて残っているのは飲食店か美容理容院のみ、八百屋も薬屋も酒屋も姿を消した。
なぜ?どうして?
スーパーやらコンビニ、ドラックストアにネットサービスなどなど。それが新自由主義経済というもので便利にもなったしサービスもよくなった、なによりも生産性が向上したと言われ、実際こちらも便利を享受している。
しかたがないのかと思いそれでいいのかなと疑問も残る。何より我が家も二年ほど前まで零細自営業者だったから弱者の立場はよくわかる。
小さな資本でほそぼとした商いで糊口をしのぐというようなことはもうこの国では無理なのだ。今に10%になる消費税は赤字であろうと払わなければならない。零細自営業者が定価の一割も上乗せしてどうやって大手資本と競争できるというのだろう。
今朝の新聞の投書欄。「人口四万の町からお店が消えてゆく」とあった。旅をすればシャッター商店街はどこでもみられる風景だ。
これらは変わりゆくひとつの例にすぎないが、こうやって「失われたもの」を考えていると筆者ならずともこの国の有様はトシヨリの心を沈ませる。昔が良かったという懐古談でなくもっと大事なものがなくなっていくような危惧感。
さてさて巡りの悪いトシヨリの頭ではおろおろ嘆くしかないのだが・・・。
畑中を鴉うろつく秋ついり
- 作者: 斎藤貴男
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2016/11/26
- メディア: 単行本
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