山笑ふ

淡路・徳島への旅

一日目

 「淡路島へ行く」言ったら友人に「玉ねぎでも買いに?」と聞かれたのだが確かに今は最盛期らしい。「10キロ1500円」の看板もあり。まさか玉ねぎではないが、どこで何をするというたいしたプランもないまま人形浄瑠璃だけは見ようかと計画していた。

淡路人形浄瑠璃」を見る

 島に渡って昼食の後「淡路人形浄瑠璃」の常設館を訪ねる。淡路では江戸の頃から盛んな娯楽だったそうで、明治の頃までかなりの数の人形座があったらしい。もちろん今は一館のみで町民の娯楽というより観光客向けの感がある。上演時間は45分間、演目は戎舞と「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」である。これはご存知のように八百屋お七の火事をもとに書かれたお話である。朗々たる浄瑠璃語りもさることながら、太棹三味線のびんびんたる響きでどっぷりと引き込まれた公演であった。なかなか運営は厳しい雰囲気であったが伝統的文化として永く残してほしいものだ。初体験の我らとしては興にのったあまりこれは「文楽」もぜひ体験せねばと話したことだ。

「松帆銅鐸」と「牧牛図」

 宿に向かう途中、三年ほど前ここで発見された銅鐸を見による。レプリカでも見たいというH殿の意見に従ったのだが幸いにも本物二点が展示中(全部で七点が発見された)思ったより小さい。この小さな銅鐸が注目されたのは一緒に「舌(ぜつ)」と紐が発見され、その使い方がわかったからである。つまり吊るして鳴らすというのだがレプリカで鳴らしてみるととても澄んでいい音を出し、弥生人たちの喜びがわかるような気がする。この銅鐸を「発掘」ではなく「発見」としたのは工事用に運び込まれた砂の中からでてきたそうで発掘場所は推定でしかないらしい。

 この銅鐸展示館は本来は南画の直原玉青という方の美術館で「うしかい草」という牧牛図の連作が展示されていた。Tにこれは禅の「十牛図」をもとにしたものと説明され、H殿と私は「牛」とは何かと考えた。ようやく牛がみえてきたというH殿と牛はもう必要ないという私とでは、「牛」の意味がずいぶん違いそうだ。Tに言わせれば「それぞれの牛でいいのだ」というが、難しいことはわからない。

 

 

 

 

     一番に生まれし島や山笑ふ

 

 

 

 

 

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明石大橋と慶野松原