紙鳶(いかのぼり)

蘇我氏の古代史』 武光 誠著

 蘇我氏にはずっと悪いイメージを持っていた。ものの本には「大化の改新」(今は乙巳の変)として中大兄皇子中臣鎌足に討たれる入鹿の図があったように思う。天皇(このころはまだ大王であった)をないがしろにして専横を極めたので成敗されたといったような説明があったかもしれない。それが教科書であったのかどうかそれもはっきりしないが、ともかくいいイメージではなかった。が、今になればそれは藤原氏の編纂した日本書紀などの史書でつくられたイメージであり、乙巳の変も激しい権力闘争のひとつであったことがわかる。

 いずれにしても乙巳の変で約百年四代続いた蘇我氏はほとんど滅びたのである。その蘇我氏の時代がどんなものであったか、筆者はそれを肯定的に紹介している。仏教を受け入れ、渡来系の豪族を登用し遣隋使・遣唐使を派遣し国家としての体を整えていったのがこの時代であったという。あの聖徳太子蘇我一族の出で「太子の起用は、蘇我氏が日本史上に残した最大の功績である」と書く。それにしても大王の後継をめぐる血なまぐさい権力争いはよくもよくもと呆れるばかり、豪族同士の権力争いと一体になり最終的には中臣氏(藤原氏)の勝ちとなるのだが。こんなことを言うと怒る人がいるかもしれないが、「万世一系」は如何に血塗られた歴史であることか。

 最近明日香の小山田で巨大な方墳の一部が発掘され、ひょっとしたら蘇我蝦夷の墓かもしれないと言われている。舒明天皇説もあるようでなんとも言えないが馬子の墓も方墳であったし、埋葬後の扱いが粗略なことから蝦夷説もあるらしい。馬子の墓も石室が丸出しになっていることを思うとよほど後世に嫌われたらしいと思うのである。これも藤原氏の策略であろうか。

 

 雪ではないが冷たいものが降ってきて寒い一日である。せめて楽しいことをと春の旅行を調べ始めた。今年の春は「淡路島から徳島」にしたいと思う。

 

 

 

 

            兄よりも高きが嬉し紙鳶