月夜

木山捷平  井伏鱒二 弥次郎兵衛 ななかまど』  木山 捷平著

 Tの本棚から抜き出してきた木山捷平短編集の二冊目である。十編が収められているがいずれも晩年の作品である。一番心に残ったのは「弁当」。一冊の追悼歌集が呼び覚ました若い頃の思い出である。追悼歌集の主は筆者(正介)の中学時代の国語の先生で、若山牧水と幼友達でも友人でもあった歌人平賀春郊氏である。歌集に付いた年譜によればが紆余曲折の末に国語教師になった人でその人生も志を遂げたというようなものではなかったらしい。収められたいくつかの歌を読みながら、正介は先生が試験の採点にはこだわらなかったことや他の教師に比して進歩的だったこと卒業のお礼に初めて自宅を訪問した時自分の歌をほめてくれたことなどを思い出す。

 死後七年たって・・・高校の教え子達の尽力で、やっとその処女歌集が貧弱な装幀で出たということには若干の感慨があった。その感慨というのは、正介自身をかたることになるであろうが、人間の一生というものは、案外さびしいものだといったような感慨であった。

 歌集を読んで正介は先生の未亡人にくやみ状を出す。先生の死去から八年がたっていたがそれでも書かずにはおられない気持ちにさせられたからに違いない。そして先生の奥さんからは大変うれしかったという返事が届いた。

 死後七年もたったにしろ貧弱な装幀だったにしろ教え子たちが歌集を出すのに力を尽くしたということだけで平賀氏の人柄が推し量られる。その点では決してさびしい一生というわけではないと私は思うのだが・・・没後評価の高まった木山氏もまた然りである。

 

 さて、「弁当」以外は筆者の庶民的で気取らないユーモラスな人柄を伺い知る作品が多い。「井伏鱒二」は敬愛する井伏と郷里が間近である嬉しさ誇らしさがにじみでたような作品であり、「太宰治」は若き日の創作に意欲的な太宰の風貌が感じられる作品であった。

 別冊『木山捷平 全詩集』から俳句をひとつ引用させていただいた。

 

 

 

 

    白河を汽車で越えゆく月夜かな   木山 捷平

 

 

 

 

井伏鱒二・弥次郎兵衛・ななかまど (講談社文芸文庫)

井伏鱒二・弥次郎兵衛・ななかまど (講談社文芸文庫)