筆初

「あと千回の晩飯」  山田風太郎

 食べられる夕飯はあと千回(だいたい三年)、「もう一食たりとも意に染まぬ晩飯は食わない」と思い立っての書き始めだったが、糖尿病を発病。病院食となる。なかなか思うようにはいかぬなかで、老残を数えたり死に方を考えたり。筆者、当時73歳から74歳。お亡くなりになる5年ほど前である。驚くほど不摂生な日常である。昼夜逆転の暮らしはともかく寝酒に一日でボトルの三分の一を空けたり、時にはコップ一杯の朝酒をきこしめしたり、よくよくこの程度の病状で済んできたとおもうばかりだ。ご本人も「今まで無事にすごしてきたのは僥倖だった」と病気と闘う気などはさらさらない。死神が来るまではと端から世の中を眺めておっしゃりたことを言う。そこが面白いといえば面白い。同年齢だがまだまだここまでの心境には遠いなと思いつつ読む。最近は平均寿命が伸びたせいか七十代でのこうした物言いは少ないのではないかしらん。寂聴さんも愛子さんも九十代である。いずれにしても「ついにくる道とはかねて聞きしかど・・・」が「老い」であるのは真実。最近こんな本ばかり共感して読んでいる、それがワタクシの現実。

 

 今日は二十四節気の「小寒」。本格的寒さの前触れである。今まででもじゅうぶん寒いのにこれ以上寒くなるのは閉口だ。

 

 

 

 

     落款の紅の華やぎ筆初

 

 

 

 

あと千回の晩飯 (朝日文庫)

あと千回の晩飯 (朝日文庫)