冬の駅

「知らなかったぼくらの戦争」 アーサー・ビナード

 戦後七十年の一昨年、英語にはない「戦後」という意味を考えてみたいとビナードさんが始めたインタビュー。自身のラジオ番組で紹介したものを書籍化した本である。短いインタビューだが様々な戦争体験が語られている。掲載のビナードさんとのツーショットからいくらもたたない内に亡くなっている方が多く、その点でも貴重な最後の証言の数々だ。中でも初めて知ったのは、米軍が原爆投下後も終戦日前日までファットマン型(長崎県型原爆)の投下実験を繰り返したという事実。これはもう日本との勝ち負けとは無関係な戦後世界で主導権を持つためだけの実験で、この実験でも当然ながら何人も犠牲になった。この事実を明らかにしたのは愛知県の社会科の先生(金子力さん)で、身近にそういう立派な方がおられたのは驚きだった。その他にも奇襲攻撃といわれる真珠湾攻撃もそう見せかけたアメリカのプロパガンダで、実際はすべてお見通しであって航空母艦などは避難していたなど、そんなことも初耳だった。ビナードさんはオバマさんの広島訪問にも厳しい目を向けていて、あの日オバマさんは慰霊碑の前で演説をしたのだが、その場にも核の発射司令装置一式(核のフットボール)を持ちこんでいたそうだ。「核のフットボール」などという言葉は知らなかったが、大統領が常に携帯しているとは聞いていた。しかし、日本のマスコミはその矛盾に一言も触れず、ただ被曝者を抱きしめた一瞬だけを美しい和解のように報道したのだ。ビナードさんは1967年生まれのアメリカ人。だが、その人間的な眼差しと深い考えにただただ教えられることばかりだ。

 

 H殿の大学時代のサークルの仲間が亡くなった。お悔やみに来られる同じ仲間を駅まで迎えにいったのだが、どちらもあまりの風貌の変化になかなかわからなかったという悲しさ。ああ、歳月は残酷。

 

 

 

 

     歳月の変へし面影冬の駅

 

 

 

  

知らなかった、ぼくらの戦争

知らなかった、ぼくらの戦争