敬老の日

 今日は「敬老の日」とかや。トシヨリの一人として敬われてもねぇという思い。歳相応に立派な方もおられるのだろうが、こちらは馬齢を重ねたというだけで敬われるような価値はない。何かに池内紀さんが「歳をとり、経験を重ねると利口になると思っていたが、・・・用心深くなることぐらい・・」と書いておられたが、あの池内さんでもである。形状的には確かに老いたが中身は若い頃と大して変わらない。敬う方もそんなことはわかっていているに違いない。それなのに「敬え」とは押し付けがましい。「国家が音頭をとって『尊敬』などと言い出し、ロクなことがあったためしがない」と清水哲夫さん。(「増殖する歳時記」から)だからへそ曲がりは「敬老の集い」なるものも敬遠してきたのだが、今年は案内がなかった。どうも対象が増えすぎて75歳以上に変わったらしい。結構なことである。いっそう90歳ぐらいを対象にすれば、稀少価値として敬われるだけのことはあるかもしれない。報道によれば今や100歳以上もとんでもない数になったようで、百歳記念に銀盃を贈ってきた政府も銀メッキに変えたという。まさにメッキの剥げた「敬老精神」だが、役にもたたないものを送って「敬老心」事足れりとするところがいかにも形ばかりだ。

 さて、70歳を超えて一番よかったのは医療費が二割負担になったこと。若い頃はほとんど健康保険を使うことはなかったが、さすがに最近はあちこちがちょこちょっこと壊れて医者通いも。医療費も増加の一途らしいがこういうことにこそ英知は働かせていただきたいものである。

 

 今日9月18日は「満州事変」の勃発日ということで、H殿のボランティア先の寺では追悼の鐘をつくという。長い15年戦争の始まりの日だ。気にもしていなかった当方としては教えられたこと。

 

 

 

 

  われらただのぢぢばばながら敬老日   新津香芽代

 

                   「増殖する歳時記」より

 

 

 

 

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          台風一過。かろうじて倒れなかった紫苑