昼の虫

亀が出てきた。

昼過ぎ縁側の椅子でぼんやりとしていたら、ゴソゴソと物音。何と亀さんではないか。川の隣のわが家では何年かに一度はこんなことも有りだ。連れ合いは「石亀」だというが、色合いから見ると、多分「クサガメ」だろう。随分大きいからメスかな。騒いで写真を撮ったが、少し目を離したすきに消えてしまった。

 ちょっと不眠が続いてNHKプラスで夜ふかしをした。

 ETV特集「消滅集落の家族」というドキュメンタリー番組を観た。秋田の消滅した集落跡で暮らす家族の話である。東日本大震災をきっかけに、ひとりの若者が自給自足の暮らしを理想として消滅集落の跡地で暮らし始める。理想に賛同する女性が現れ、やがて彼等は子どもたちの親になる。古家を直し、米を作り、自家採種の野菜を作り、自然の中での子育て。収穫を手伝ったり、蛍を追ったり、子どもたちの表情がとてもいい。

 しかし、父親であり夫である彼は悩み始める。子どもが大きくなれば、現金収入はどうしても必要だ。独り身だった頃の理想だけでは暮らしてゆけない。その悩やむ夫を黙って信頼して待つ妻がいる。

 いい話だなあ、見事な夫婦だなあと何度も感心した。毎日つまらないニュースばかりのこういう時代にこういう生き方をしている若い人もいるのだと、心が洗われた。

NHKプラスでの配信はあと二日。よろしかったらご覧ください。

 不眠のスパイラルに陥ってちょっと眠れない日が続いたので、眠剤をもらいがてら主治医のところへ。先の総合病院での検査結果の報告(すでに結果報告は届いていたが)をする。多少の問題はあっても、年相応と構えてゆるやかにいこうということになる。主治医は大学時代、サークルを共にした後輩である。お互いに充分歳を重ねた。

 

 

 

        草に木に雨上がりの陽昼の虫

 

 

 

秋ひざし

『隻手の音なき声』 リース・グレーニング著 上田 真面子訳

 Tに回してもらった一冊。副題に「ドイツ人女性の参禅記」とある。そのとおり戦後間もない頃、ドイツからはるばる来日。京都相国寺で参禅に励まれた真摯な記録である。

 禅的なものから受ける印象、つまり簡素で穏やかな暮らしぶりというものには、あこがれがある。しかし、「禅」がどういうものか全く知らない。この本で坐禅と参禅の違いも初めて知ったくらいだ。

 筆者がなぜ「禅」を体験してみようと思ったのか。そこのところはわからないが、「禅」に精神の安定を求めたのかもしれぬ。相国寺臨済宗坐禅とともに公案が与えられる。自分が向き合う「問い」である。これが実に難しい。まず、筆者の場合は「仏とは誰であり、どこにいて、何であるか」(如何なるか是れ仏)であった。

 師の老師は「坐れ!坐禅を行ぜよ!」坐って「生死を超えること、生と死という二元論」から自由になれと説かれ、より筆者に相応しい公案が与えられた。

 「鳴っている鐘の音を止めることができるか」

 「隻手の音声をなんと聴く」

公案を媒にした老師との参禅で、弟子はより深い自己洞察に導かれるようだが、「公案」とはいったいなんであろうか。坐っている間も絶え間なく沸き立ってくる自我を抑えるための手立てであろうか。玄侑さんによれば、「通常の認識や分別を切り捨てて『瞑想脳』とも呼ぶべきもう一つの脳機能をとりもどすための関所」だという。

 最後まで公案に苦しむ筆者の心の葛藤の記録を読んだが、私にはよくわからなかった。よくわからないながら最後まで読ませられたともいえる。

 

このところ、いくつかの体操を始めた。もう一年以上簡単な老人体操と初歩的太極拳を続けているが、さらに腰痛予防やら骨粗鬆症対策やらスクワットやらを隙間時間にやっている。まだ外を歩くには暑く、水泳もできなくなった身の唯一の助けはYouTubeである。継続は何とやら、やらないよりはいいという気がする。

 まだ暑いが、いつのまにか日が低くなってきた。

 

 

 

        軒下やこんなとこまで秋ひざし

 

 

 

 

シコンノボタン

休暇果つ

『仰天●俳句噺』 夢枕 獏著

 表題に「俳句」とあったので図書館の新刊コーナーから借りてくる。著者の作品は手に取ったこともなかったが、いやいや実に面白かった。文脈などというものがあるのかどうか、(よく読めばあるのですが)噺はあっちに跳びこっちに逸れ、文体も劇画的であれば、真面目体(?)にもなり。ともかく多彩なる作家魂に驚嘆。

 昨年の早春、筆者は血液の癌を患われた。NHKテレビで二月堂修二会の生中継にゲスト出演をされていたのを覚えているが、宣告はその前後だったらしい。今にして思えば、ややお元気がなかったようにも思えた。それから半年以上にわたる抗癌剤治療に苦闘されたわけだが、これはその間に書かれた噺。

 つまり闘病中にいくつか俳句を詠んだという噺なのだが、辿り着くまでが長い。もともと俳句には興味があったのだが、夏井いつきさんの句を知って、「ぎょっとなってしまった」。それを知ったのが、「サワコの朝」だったというのだが、ここに辿り着くまでが大変。

 どのくらい大変かというと岡本光平さんに教わった「書」から、篠遠嘉彦の文化人類学的話、金子兜太さんの狼の句のはなし、尊敬する「宮沢賢治高村光太郎、時々空海、ちょっと猪木」といった具合で、どんどん本筋から離れていく。よくよく後で振り返ると繋がっているのだが、読んでいる途中では、そこそこの噺が面白くて繋がりなど、こちらも忘れている。

 さらに噺は中沢新一さんから縄文の神々に及び、ついには物理的(?)ひも理論。こうなるとこちらは付いていけない。要は、俳句に惚れに惚れ込んで、「季語は縄文の神が棲まいたもう御社」とまで宣言。最後に闘病中の句の披露で終わるのだ。

 浅薄ながらわたくしめの頂きました句は以下の如く、斬新すぎるのは「伝統的俳句」詠みには限界あり、です。

 咳ばかりのひと晩で窓しらしら

 網膜に粒子乱舞枕まで突き抜けよ

 万巻の書読み残しておれガンになっちゃって

 点滴の窓に桜ラジオから昇太

 闘病中に俳句を詠んだという話は、よくある。「闘病俳句」という色分けもある。辛い心境、己とじっと向き合う時間、必然的に俳句は浮かぶ。

 

 

 

         吹奏のまだ覚束な休暇果つ

 

 

 

 先週末、また高熱を出してしまった。昨年の発熱の日と一日しか違わず、前回よりやはり半年後。今回は一昼夜で症状は収まったが、これは何だろうなあ。

 むくげ

 

 

露けし

『日本の歴史7 鎌倉幕府』 石井 進著

 夕べは酷い雨だった。八月としては初めて、一時間78ミリという豪雨と雷で、「緊急避難警報」がけたたましく鳴った。これは隣の岐阜市からの情報で、わが家の隣の川は岐阜市との境である。見ればあと10センチほどで溢水状態であったが、たいていはそれですむ。ただ下流の地区はいつも氾濫となり、昨夜も道路が冠水したようだ。それにしても滔々と流れる濁った水は気味が悪く、すぐに窓を閉めた。「避難」と言ったところで、あの降りでは避難などできないと連れ合いと話したことだ。

 

 さて、上記の本である。テレビドラマに触発されたといってよい。昔購入して、拾い読みをした本を出してくる。ドラマのおかげで、登場人物のキャラがよくわかる上に、名著と言われる石井さんの本である。古いから活字が細かいのは閉口だが、読みやすく面白かった。(今は新しい版があるはず)

 学生時代に日本史を勉強しなかったので、歴史といえば権力闘争の側面しか知らなかった。もちろんそれもあるが、この機会に日本の土地所有の変遷と武士の台頭、鎌倉幕府の歴史的意味というようなものが、おぼろげながらわかったような気がする。今更ながらだが、まったく今更ながらである。

 まだ完全読了とはいかないが、この本は承久の乱を経て執権政治の確立まで。鎌倉幕府の後半は第8巻である。この『日本の歴史』シリーズ、あの宮脇俊三さんの編集だと聞く。三分の一は当方が購入、残りはTが買ったのだが、未読のままにしておくのは、惜しい。

   

 

 

 

         石垣にまじる墓石露けしや

 

 

 

 

秋の雨

『屍の街』 大田 洋子著

 大田洋子という人は、戦前ある程度の評価を受けた作家であったらしいが、全く知らなかった。この本も、新聞の読書欄の斎藤美奈子さんの紹介で、初めて知った。

 著者39歳、広島市内で被爆。当事者だけに凄惨で残酷な被爆体験記録である。地獄と化した被爆直後の様子もさることながら、ひと月もたって外傷がないのに死んでいく人々。まるで死刑の宣告を待つような日々の重苦しさが心に響く。

 「破壊されなくては進歩しない人類の悲劇のうえに、いまはすでに革命のときが来ている。破壊されなくても進歩するよりほか道はないと思える。今度の敗北こそは、日本をほんとうの平和にするためのものであってほしい。」

 悲痛な思いで大田さんがこう書いて、すでに七十七年。状況は変らないばかりか悪化してるかもしれない。尚、彼女は原爆の後遺症に苦しみながら、五十七歳で亡くなられたとあった。

屍の街 (平和文庫)

屍の街 (平和文庫)

Amazon

 

 

 

 

     うらなりのいくども濡らし秋の雨

 

 

 

 

芙蓉

敗戦日

街道をゆく四十二 三浦半島』 司馬 遼太郎著

 BSで「新 街道をゆく 三浦半島」というのを見た。古いシリーズが再放送されていたのは知っていたが、これには「新」が付く。「鎌倉殿の十三人」に合わせた企画かもしれない。「街道をゆく」はどれも昔読んだはずだが、すっかり忘れているので再読をした。

 三分の二ほどが鎌倉幕府関連、残りが横須賀の海軍関連の内容である。鎌倉関連は、非常にタイムリーで、興味深く読んだ。司馬さんも三谷さんもおそらく『吾妻鏡』を参照にされているのであろう。話も人物描写も大きくは違わない。ただ比企能員の謀殺(昨夜の放映)のあたりは、少し違った。

 頼朝の存念というものが、「大きくは武士団の利益をまもり、小さくは武士団相互の紛争を公平に裁くということ」にあって、彼はひとりでそれに携わった。しかし、死後家督を継いだ頼家にはその能力がなかった。それがさらなる悲劇の始まりであった。

 この本には櫛の歯のように欠けていった武士団の最後に、「三浦一族の滅亡」もある。時頼と争い、破れた三浦氏一族五百余人は頼朝の法華堂でいっせいに腹を切ったという。

 頼朝から北条氏への時代は百五十年続いた。「土地制度が定まり、道理の通る世になった。」「思想も簡潔になり、法の世になった。」一方で「商品経済の勃興」は多様な価値観をうみだし「鎌倉幕府の衰亡」に繋がっていった。

 研究者の調査によれば、鎌倉という土地は累々たる死者の骨の上に成りったているようだ。今でも目を凝らすと「小さなセピア色の細片」が見つかるという。

 お盆行事もすんだ。孫達は大きくなり、こちらは歳を重ねて、こういう行事はもう何回できるかなあということになってきた。

 今日は敗戦日。わが齢と同じく七十七回忌。正午揃って黙祷をする。毎年八月には「戦争もの」を読むことにしているので、次は大田洋子『屍の街』を読もうと思う。

 

 

 

          新聞にはけふも戦争敗戦日

 

 

 

 

 にちにちそう

おしろい花

『庄野 潤三の本 山の上の家』 庄野 潤三著

 新聞の土曜版に「夏葉社」が取り上げられていたので、図書館の在庫本を検索して、この本を見つける。

 一時期庄野さんを片っ端から読んでいた。庄野さんの書かれる暖かく穏やかな家族像が好きだった。同じようなコアなファンは多いようで、このような「山の上の家」の写真集も人気があるのだろう。なんでも年二回住宅開放もあり、ファンの集いも続いているようだ。

 主も亡くなり、奥様もご次男も鬼籍に入られたという。まさに作家自身が思い巡らしておられたように、亡くなってしまわれた今、いくつかの作品は「生きていることは、やっぱり懐かしいことだな!」という切ない思いを胸に起こさせる。

 「日本のかおりのようなもの」と言わしめた『夕べの雲』は、須賀敦子さんの手でイタリア語に翻訳されたという。もう一度読み返してみようかな。忘れていたものに出会えるかもしれない。

 

 

 

 

 

      思い出はおなじところにおしろい花

 

 

 

 今年は三年ぶりにお盆に娘一家が墓参りに来るという。どうするか気にしていたが、トシヨリ二人はワクチンを接種したからと伝える。もう水遊びも蝉取りもしないけれど庭花火はどうするかしらん。

オシロイバナ