『愛の顛末 恋と死と文学と』 梯 久美子著
二週続けて診察の予定があり、病院でも読める手軽な文庫として選んだ一冊だが、さすが梯さん、確かな力量を感じさせた一冊であった。
「本書は、作家と作品の間を往ったり来たりしながら文学を楽しみたいという人のために書いた。作家の恋愛と結婚にテーマを絞ったのは、・・・隠しようもない姿がそこであらわになるからだ。・・・死の様相にも作家の個性と時代性があらわれている・・・」とあとがきにある。
取り上げられたのは十二人の作家だが、この内女性だけを見るとすれば四人。まず、奔放に生き、愛し、大胆に詠んだ俳人の鈴木しず子と歌人の中条ふみ子である。鈴木は行方不明で中条は病死と若くして作品発表は途絶えたが、これ以上ないというほどの大輪の花を咲かせた。
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など
落暉美(は)し身の係累を捨てにけり 鈴木しず子
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとえばきみの肩にも乗りて
たれのものにもあらざる君が黒き喪のけふよりなほも奪ひ合ふべし 中条ふみ子
後の二人は三浦綾子と吉野せい。三浦は「氷点」で著名になり、長い闘病と敬虔な信仰、そして献身的な夫婦愛などはよく知られたことだが、そこに至るまでの苦闘は知らぬ人も多いのではないか。
だが、吉野せい、この人こそ未知の人だ。すくなくとも私にとっては。『洟をたらした神』は彼女が76歳で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品らしい。彼女は70歳でデビューして78歳で亡くなった。若い頃は文学的志向もあったのだが、世俗智に欠ける夫に代わり貧しい家族を支えんと農作業に明け暮れた。決定的な出来事は、貧しさゆえに大切な娘を死なせたこと。この悲しさから逃れるためにせいは「書くこと」が必要だと思うのだが、・・・
「自分も書かなければならぬが、仕事はうつちゃっておかれない。働かないではちっとも進捗しないから。やれるだけやろう」
「朝はも少し早くおきよう。一時間位勉強してからでも、充分、午前仕事出来る位して。夜も勉強しよう。・・」
結局、せいが本格的に筆をとったのは夫の死後、草野心平に勧められた後であった。
図書館の閉架にこの本があるということがわかった。働かない夫に対するせいの意地と、書くことでその夫を許していったせいの想いを辿ってみたいものだ。
さて、男性の文学者は小林多喜二、近松秋江、中島敦、原民喜、梶井基次郎、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二の各氏。原民喜については同著者の長い評伝もある。
モズの一度目の子育てが終わり、どうやら二度目の子育てに入ったようである。一度目が早かったので、そういう時は二度目もあるらしい。最初の子モズはうちの桜の中で餌をねだっていたので、巣立ちをしたのはまちがいない。今でもせっせと巣に通う親モズはなかなか働き者である。H殿の庭仕事を必ず見守っており、餌の確保に努めている。巣の鳴き声はまだ小さいが無事に育ってくれるといいな。
遅き日や背中の丸き影長し
- 作者:久美子, 梯
- 発売日: 2018/11/09
- メディア: 文庫
サザンカの中のモズの巣。まさかまた子育て中とは知らずにパチリ。
ヤマブキ
シャガ
散歩中
久しぶりのねこちゃん