花筏

『あのころ、ぼくは革命を信じていたー敗戦と高度成長のあいだ』 大牧 冨士夫著

 前回の続編ともいうべき大牧さんの自伝書である。17歳で少年通信兵として敗戦をむかえた大牧さんは、その経験を生かすべく名古屋逓信講習所に入る。そこを卒業後郵便局に勤め、労働運動にのめり込んで行く。共産党員になり、タイトルでも延べられているように「革命」すら信じた。しかし組合の専従になっても末端の一党員にはなんら財政的な支援もなく結局体を壊し疲れ果てて離党して故郷に帰ることになる。

 二度目の出郷は翌年である。岐阜短期大学英文科への入学である。ここでの出会いに小瀬洋喜先生の名前が出てくる。小瀬先生に民俗調査の手ほどきを受けたとあるが、小瀬先生自身は存じ上げないが、歴史学をされていた夫人の小瀬先生には長いこと古文書購読を教えていただいたのでお名前に親しみがある。

 短大卒業後は一時的に木曽川中学に英語教師として赴任したとある。(木曽川は長い間私が勤めた地でもある。)その後、岐阜大学学芸学部に編入学されたのだが、それは英文科であった。国語国文研究室が居心地がよくて入り浸っていたとあったので、てっきり先輩だと勘違いをしていた。それにしても永平先生、根岸先生、国枝先生と懐かしいお名前の数々。先生方もまだ若くて取っ付きやすかったのだろう。学生らと積極的に読書会などの文学活動などもなさっていたようだ。何を教えていただいたか全く記憶にもない私たちの時代とは大違いで、先生にも学生にも「文学を民衆へ」というような熱い思いがあったようだ。

 結核に罹患されて卒業後は教職に着けず、業界紙の記者をしながら新日本文学の岐阜部会の活動などに携わっておられたのだが、1963年(S38)の大豪雪を機に故郷に帰ることに。それはあまりの豪雪で孤立した村に不安を感じた新任教師が村を離れたからである。教師を失った村の子どもたちを教えることが新しい生きがいになったことで、この話は終わる。大牧さん35歳。故郷徳山村での再出発であった。

 何だか個人的な勝手な親しみで読んだ一冊であった。感想も個人的なことばかりだが社会も大学もふた昔も違えば随分違うものだと思う。嘴の黄色いミーハー的女子が「政治と文学」などとくっちゃべっていたのを先生たちはどんな想いで聞いておられたのだろう。

 

 

 

 

        花筏乱して鯉は睦みをり

 

 

 

 

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