草紅葉

『サガレン』 梯 久美子著

 久しぶりに読了後の満足感に包まれた。「サガレン」とは「サハリン」の旧称である。宗谷海峡をはさんで稚内から最も狭いところで42キロ、目と鼻の先にあるかっての外地である。実質的にロシアの支配になってはいるが「国際法上は、この島の帰属はまだ確定してない」と梯さん。ちなみに高校の地図帳には国境線が二本引かれて、北緯50度線以南の土地は白地(どこの国にも所属していない)になっているとあるが、確かめてみたらそのとおりであった。

 内容は二部に分かれていて第一部はサハリン鉄道に乗る旅、第二部は宮沢賢治樺太への旅」の足跡をたどる旅である。

 梯さんは「廃線紀行」なども書いておられるようにかなりの鉄道ファンである。今回のサハリン鉄道乗車も念願かなってということで、乗車列車が特別列車「サハリン号」かどうかに(ロシアの長距離列車には等級があって最優等のものには列車名がつく)かなりこだわっておられる。(結果的には「サハリン号」であった。) ユジノサハリンスク(豊原)からノグリキまで613キロの旅、四日間の内、車中泊二日のかなり疲れそうな旅である。この間のノーボエ(新問)まではかって日本が敷設した樺太鉄道で、多くの著名人も利用していた。梯さんがここで話題にしたのは林芙美子で、駅でパンを買った記述からサハリンに住んだポーランド人に思いが及ぶ。サハリンはかってロシアの政治犯流刑地でもあり、「艱難辛苦の果に樺太に根を下ろした人物」ポーランド人・ムロチコフスキが芙美子の買ったパン売りであったと推測するのである。かっての国境は暗闇の中で通り抜け、終点ノグリキに到着。梯さんはさらに北方を目指し車を頼んでノグリキーオハのソ連が敷設した軽便鉄道の跡を訪ねたり、ノグリキ郊外に日本が建設した石油タンクを見に行く。そして、長いこと使われていないのに今も威風堂々としてきれいな赤銅色であったのに感動する。この本で初めて知ったことだがサハリンはかってはアイヌウィルタ・ニブフ・ウリチ等々の先住民族が暮らしていた土地であり、日本やロシアは彼等の土地を掠め取ったのである。旅の後半にニブフの口琴の音色に心惹かれる話がでてくる。

 さて、第二部は約一年後、宮沢賢治の「樺太への旅」の足跡をたどる旅である。賢治はなぜサハリンを目指したのか。表向きには王子製紙に勤めていた旧友に教え子の就職を頼む旅であったようだが本当の目的は「前年に亡くした妹トシの魂の行方を追い求める旅だった、というのが定説」らしい。この旅で賢治は七編の詩を書いているがいずれにもトシの面影が濃く反映されている。ことに往きに書いた「青森挽歌」「津軽海峡」「宗谷挽歌」には、死後トシはいったい何処に行ってしまったのかと繰り返し問いかけている。トシが天国に召されたと直感できないことが彼自身の宗教的動揺にもなり、「私たちの行こうとするみちが ほんとうのものでないならばあらんかぎり大きな勇気を出し」私にそれを教えてほしいと訴えてもいる。一方樺太に着いてから書かれた詩は色彩感と透明感に溢れた美しい言葉の羅列だ。「オホーツク挽歌」について筆者は「詩全体を一枚のタペストリーとするなら、そのあちこちに可憐な花たちが織り込まれている」と評している。オホーツクの浜辺で緑青の水平線と雲間から覗くひときれの天の青に賢治はトシの存在を直感する。賢治は樺太鉄道にも乗車するのだが、筆者は残念なことに今回は追体験ができなかった。日本時代の狭軌からロシア基準の広軌に移行するため全島で運休だったのである。しかたなく筆者は「樺太鉄道」「鈴谷平原」の詩を片手に車で移動する。

「いちめんのやなぎらんの群落が

光ともやの紫いろの花をつけ

遠くから近くから煙っている」

詩に描かれた風景は光に溢れ明るい。透明な樺太の風景に癒やされて帰っていった賢治は函館までの車中詩「噴火湾ノクターン)」で自分とちがった空間にトシが居ることを納得する。「それはあまりにもさびしいことだ」が「そのさびしいものが死なのだ」と書いている。

 梯さんの賢治の旅を辿る紀行は賢治の詩をなかだちにしたもので、賢治の詩とともに実に印象的であった。賢治の詩に詳しくなかっただけに余計にいいものを読ませてもらったという思いがする。『サガレン」に行くことはないが、賢治の詩とともにその玲瓏な空気の地を思い出すことだろう。

サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する

サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する

 

 

 

 

             小魚は群れて岸辺は草紅葉

 

 

 

 

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