豆の飯

『日本美術の底力  「縄文×弥生」で解き明かす』 山下 裕二著

 山下さんは原平(赤瀬川)との共著『日本美術応援団』からおなじみである。というより日本美術史家としては山下さんぐらいしか知らないというのが本当のところだ。山下さんとその先生の辻惟雄さんの『奇想の系譜』を通して若冲蕭白岩佐又兵衛も知った。

 この本で山下さんは日本美術は

 「縄文と弥生のハイブリットである」と書いている。 

 日本人の美意識として従来は「侘び寂び」と弥生系の簡素で洗練された美しさが強調されたがそれだけではない。縄文土器の装飾過剰、エネルギーの横溢といった美意識もまた脈々と受け継がれてきたものだ。それは若冲であったり又兵衛であったり蕭白であり江戸末期の北斎や建築物の「陽明門」もこれに繋がる。

 一方通奏低音としての弥生系の美意識は平安期の大和絵に始まり雪舟等伯水墨画や江戸琳派の絵画であったり利休の「待庵」もそうだとする。もっとも一面的に区切ることはできず等伯には「楓図」のような金碧画があり雪舟にも縄文的デザインの「慧可断臂図」があるという。

 こういう歴史的な流れを汲んで現代作家としても何人かを紹介、たとえば山口晃さんや村上隆さんなどなども。

 この本のいいところは新書にもかかわらず61点ものカラー写真が収載されていること。図版は小さいがそれなりに作品の傾向がわかる。しかし、山下さんの言われるようになんといっても自分の目で確かめることが一番だと思う。バブルが弾けて以来展覧会というようなものが少なくなったような気がするし(首都圏はともかく名古屋は素通りが多くなった)また今のコロナ禍でそういう傾向はますます進むではないかと危惧する。美術鑑賞などというのも平穏であればこそだ。

 ああ絵を見に行くという日常が恋しいなあ。

 

 

 

 

 

           肌寒き雨の一日豆の飯

 

 

 

 

 

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ユキノシタ