梅雨空

浄瑠璃を読もう』 橋本 治著

 橋本さんのやさしく教えてくださる古典シリーズの一冊である。春の旅で淡路島で人形浄瑠璃を見てから気になっていた「文楽」という日本の古典芸能、この際勉強しようと読み始めたのだがなかなか進まない。やっと三大名作と言われる「仮名手本忠臣蔵」と「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」の項を読んだ。どれも史実に題材を得てはいるが史実とはまったく違う。

 「仮名手本忠臣蔵」はそれは歌舞伎の方ではあったが、昔部分的に母に聞いたこともあり(どんな時に聞いたのか見たのか全く思い出せないが当地は農村歌舞伎が盛んな地であった)話の流れは承知していた。「高師直」が悪人だという認識だけはずっと染み付いていたから足利時代の話で彼の名前が出てきた時もその思いが抜けなかった。

 さて筋立てだが、大筋の刃傷から切腹、仇討ちと展開する流れにいくつかの枝葉の話がくっついたといった構成でわかりにくくはない。たまたまYouTubeで大序のところを見たら偶然にも昨日Eテレの「古典鑑賞」でその次のところを放映した。刃傷から切腹、城明け渡しまでの段で緊迫した見ごたえのある舞台であった。見れば確かに人形が演技をするのであり、その技術には驚くばかりだ。とくに女の頭は顔の動き自体は乏しいのに身体全体で感情表現をさせるところなどさすがである。今年は国立文楽劇場の開演から三十五周年とかでこの「仮名手本忠臣蔵」を通しで公演すると聞くから残りの段も見る機会があるかもしれない。

 ところで「義経千本桜」であるがこちらはかなり荒唐無稽な筋立てである。義経は死なないのである。判官贔屓というか、義経は思慮深くかつ美しいスーパーヒーローなのである。後白河にチヤホヤされて鎌倉の怒りを忘れるような浅はかな人物ではないのである。頼朝も悪くないし後白河も悪くない。悪いのは公家の藤原朝方となっている。さらに不思議は安徳帝は女、夏から冬の話なのに桜が満開の舞台装置、知盛は海運業者になっているし義経の家来佐藤忠信は狐の化身となんだか化かされたようなお話である。義経が死んでいないというのは庶民の願いでもあるし彼が思慮深い美しい武将であったというのも庶民の夢、実際は冴えない小男だったと読んだ時正直いってがっかりしたひとりだからこの思いはよくわかる。

 さてさてこの本はまだまだ厚いのでお後の話は別の機会に。

 連日の梅雨空で気持ちは重い。

 

 

 

 

        梅雨空や止めば重機の唸り初め

 

 

 

 

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