聖五月

 降りそうで降らない。先週は珍しく体調を崩し発熱。ウオーキングもしなかったが少し気力も戻ってきたので曇天を幸いに歩く。用水の水はたばしっているがまだ田には入っていない。この辺りはいつも遅いのだ。

 

 

 

 

           庭の花十指に余り聖五月

 

 

 

 

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今日出会った子。野良のようだ。

 

アイヌと縄文』 瀬川 拓郎著

 過日アイヌに関する本を読んで「アイヌ縄文文化」の関連が気になっていた。この本で著者は

 アイヌこそ、日本列島の縄文文化、縄文語、縄文人のヒトとしての特徴を色濃くとどめてきた人びとにほかなりません。

と書いておられる。

 まず人としての特徴は最近のDNA分析で本土人より縄文人に近いことが明らかになった。もっとも遺伝的特徴は縄文人そのままでなくオホーツク人あるいは本土人との混血もうかがえるということだ。縄文人は、彫りが深く鼻が高いなどの形質的特徴を持ち「モンゴロイド離れ」した風貌の人々だったようだがそれはアイヌの人にも感じられるとおりである。

 言葉についてはどうか。縄文語を直接知ることはできないから推測でしかないのだがアイヌ語に近いものだったのではないかという。それはアイヌ語が日本語より言語としても古い特徴を持ち、また日本語の地名などにアイヌ語で説明できるものがかなりあるからだ。縄文語(アイヌ語)と思われるものが東国だけでなく遠く九州北部(肥前国)にも残り、その言葉を使う人々がイレズミをもつ漁労漂海民であった(近代まで)というのも興味深い話だ。

 縄文文化についてはどうか。例えば宗教儀礼だが縄文社会では一定期間飼育した子イノシシを殺す祭りがあったようだがこれはアイヌのクマ祭りに受け継がれたと思われる。近世になってからはみられなくなったらしいが人の死後何年かは埋葬しないというモガリの習俗も縄文起源である。現日本人同様山を神聖視する宗教観もまた縄文由来であろう。そしてなによりアイヌの人々の縄文由来の思想として筆者は「モノの売買に対する忌避」を挙げておられる。商品経済が人々の階層化を促し権力者を生み争いをおこした。アイヌの人が守り通そうとした縄文思想は人を差別化しないそれとは対極の思想だったというのだ。だからといってアイヌの人々も狩猟民としての獲物の多くを和人との交易に当ててきたわけでありそのあたりの苦労というか理屈づけはあったわけだ。

 さて『アイヌと縄文』の深い繋がりを知って改めて消えていこうとしているアイヌ語アイヌ文化のことを思う。それはひとつの少数民族の問題というより私達日本人の心の故地の問題だと思う。