春逝く

『山海記』  佐伯 一麦著

 大和八木から和歌山の新宮まで日本一長い路線バスのことは本で読んだり映像で見たりしたことがある。筆者とおぼしき彼は東北大震災の後、同じ年に大水害にあった紀伊半島を訪ねるべくこのバスに乗った。小雪も舞う狭隘な山道をバスに揺られながら、かってこの地を進んだ「天誅組」のこと、この地が支えた南朝方のこと、あるいは明治22年の「十津川大洪水」や2011年の土砂災害、そして自死した中学校以来の友のことに思いを巡らす。

 太平の世に生まれ合わせたとばかり思っていた芭蕉の生涯が、ひきもきらぬ災害と隣合わせだと知った時から彼の災害の記憶を訪ねる旅は始まったという。この十津川沿いの狭い谷あいの村々でも歴史上の抗争の波に飲み込まれたり、大災害の土砂に飲み込まれたりした人のなんと多いことか。全く人の生き死には偶然のことが多く、彼ならぬとも今自分があることに不思議さえ感ずる。ましてや彼は、幼い頃に受けた恥辱の記憶から自分のようなものが生きる資格があるかと自問し、いくつも病を抱えた自分は早く死ぬだろうと思っていたのだ。

 2011年の23号台風の時は、実は我が家も和歌山県白浜に滞在していた。震災の年だったから単なる遊興の旅は遠慮して前日高野山を詣で白浜で一泊して熊楠の旧跡などを見て帰る予定だった。ところがあの台風である。目の前をかすめるコースで風雨も強まり起きるなり帰ることにした。すでに海岸道路は通行止め、高速道もあわや通行止めかというところで和歌山市までたどり着いたのだが、その後の報道で知った大被害には驚いたとともに無事帰り着いたことに安堵もしたものだ。

 「平成」は大災害が多かったと言われるが歴史的に検証してみれば決して特別なことでもなく「記録があるこの千六百年ほどの間に死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、均せば少なくとも十年に一度の勘定になる」と彼は言う。「どういう国土に住んでいるんだ」と嘆息を洩らしながら「曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた者たちの末裔である」とも思う。全くそのとおりで大災害に会いながらも大声で泣きわめきもせず粛々と事に対処するこの国の人々の心の真底にある澄み切った諦観はここに由来するのかもしれない。

 二年前のバス旅では受け入れがたかった友の自死も整理できた私は(後半は彼が私となる)二年前は途中断念した7時間近い路線バスの乗車を完遂する。友からの最後のメールと共に。

 

 

 

 

     三十年(みそとせ)に思いさまざま春逝かす

 

 

 

 

山海記

山海記

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