たんぽぽ

『AIvs.教科書が読めない子どもたち』  新井 紀子著

 「シンギュラリティー」という言葉を初めて知った。「人工知能(AI)が人間を超えるまで技術が進むタイミング」をいうそうだ。まず著者は「シンギュラリティーは到来しません。」所詮AIは意味がわかって意志を持って仕事をしているわけではなく「入力に応じて計算した答えを出力しているに過ぎない」のですという。しかし、AIが人間の能力を超える分野は数多あり、そのために淘汰される仕事も多いはずだと警鐘を鳴らす。

  先日の朝日新聞(4月7日)の厚生労働省資料によればAIの進展などによる就労者の増減は減が工場労働者や事務職などで338万、増は技術者が45万介護やサービス業で142万とある。

 筆者は「東ロボくん」という人工知能で東大入試に挑戦したわけだが、さまざまな試行の結果合格の水準までは至らなかった。はっきりしたのは英語や国語などの「読解力」を必要とする分野は不得意であるという事実だ。そこで「読解力」を必要とする分野、上記の資料でいえば技術者であるがそれはAIでは肩代わりできない分野であるとして、人間(おもに小・中学生)の読解力を調べた。ところがその結果は非常に危機的な低さで愕然とした。これではAIに出来ない仕事は出来ず、AIに指示されながらだれにでも出来る低賃金の仕事をするしかない。文科省は、やれ「アクティブ・ラーニング」とか「プログラミング」とかいっているが、教科書を正確に読めなくてどうする。「読み取る力」をつけることこそAI時代に対処する喫緊の課題ではないか。 

 まあ、筆者の焦りにも似た提言はこんなところではないだろうか。「読解力」の調査のもとになったRSTというテストについて批判的な意見もあるようだから本当に今の子どもたちの「読解力」がお粗末なのか私にはわからない。(文中の例題をやってみた私は完答ではなかった。正確に読めない人?)AIによる社会的大変革が私の生きているうちにくるのかどうか。見たくはないからその前にとっととおさらばというのが感想だ。

 

 

 

 

       たんぽぽのぽぽが飛びきし滑り台

 

 

 

 

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 散歩をしているといろんなものに出会うが、今日は巣から落ちたらしい子雀に会う。まだ産毛が残っており目も見えるのかな?かわいそうだが野鳥の子は拾ってはいけないとH殿。(一応野鳥の会の会員です)強い風に吹かれてだんだん道路の方に飛ばされていたので風の当たらないところに少しだけ動かしたけれど多分駄目なような気がする。

 先日書いたナガミヒナゲシについては市役所の環境政策課に電話をした。たまたま広報でオオキンケイギクの駆除の記事が掲載されていたからだ。ちょっとお節介かと思ったが・・・。散歩道の拔けるところは抜いている。でも川べりは無理。