山眠る

 『狂うひと』  「死の棘」の妻・島尾ミホ   梯 久美子著   その2

 やっと読了。大変な力作である。執筆に際しての当人へのインタビューは初期の段階で拒否されたということで膨大な資料を読み込んでの人物造形である。長大な内容にもかかわらず最後まで惹きつけられたのは対象となった人物もさりながら、これだけの複雑な人物をくっきりと描き出してみせた筆者の力量であろう。

 それにしても島尾敏雄氏にしてもミホ氏にしてもなんと執着の強い人物であろうか。島尾氏は書く日のためにどんな修羅の最中でも日記に書き残すことを止めなかった。ミホ氏に見られる危険性のあった愛人の写真すらいつの日かの資料として残している。長男の伸三氏に「すべての人を不幸にしても書きたい人だった」と言わしめているほどだ。

 ミホ氏の夫への執着もまた並外れたものである。病の癒えた後ですら夫と一心同体でありたいという思いは、夫の船旅の間一晩中廊下に座って身体を揺らし続けていたという異常な行為にも伺われる。

 「あの二人は、知力も体力もある二人が総力戦をやっていたような夫婦だった」と伸三氏の言葉があるが、執着の強い自我と自我がこすれあうような夫婦だったようだ。その夫婦間を省みると最初は夫が妻を薬籠中のものとして自分の執筆の対象に利用しようとしたのに、逆に一生を絡め取られてしまったというようなところがあると思う。晩年島尾氏は「死の棘」の執筆を悔やんでいたのに対し、書かれたミホ氏が「神の試練に耐えた理想的な夫婦」であり、『「死の棘」日記』は愛妻日記だったと述懐するのは正反対であり印象的である。

 実は「死の棘」はまだ読んでいない。話の裏側を知ってしまってから読むのはどんなものかと思うが、家にあるようなので近いうちに読んでみたいと思う。しかし、まあ当分は軽いもので結構という気もする。

 

  さて、今日の掲載句は古い句帳から出してきたものだが、この句を詠むきっかけとなった岐阜県本巣市の「舟来山古墳群」が今度国の指定史跡になることになった。100基とは大げさなようだが決して誇張ではなく実際は1000基以上の古墳が隠れているとも言われ、今回指定を受ける範囲だけでも111基が確認されているようだ。3世紀から7世紀までの400年以上にわたり古墳が造られてきたいわゆる「死者の山」で近畿以外では最大の規模らしい。中にはベンガラを一面に撒いた「赤彩古墳」も3基あり1基は公開されている。出土品も多彩にわたり鏡・短甲・太刀・剣・馬具・玉類などでふもとの資料館で展示されている。何年か前に家族で見学してきたが年に二回ほど「赤彩古墳」の公開もある。現在は民間所有の山らしいが歴史公園にという話もあるようなので歴史好きとしてはぜひ期待したい。

 

 

 

 

 

     百基超す古墳懐きて山眠る

 

 

 

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ