敬老日

『小屋を燃す』  南木 佳士著

 弱さを曝け出すようなこの人の自嘲的文体がきらいではない。いままでも主にエッセイだがかなり読んだ。今回はエッセイというよりは小説なのだろうが基本的に私小説だから話は筆者自身と深く結びついているはずだ。読み出したら今までも何度も聞かされた心を病んだことの顛末で、ああまたかと少しうんざりした。

 二週間ほど放り出しておいてまた読み進めたわけだが、読んでみればこの人にも「心の病」という軛から逃れて平穏な老後が訪れたことを感じさせる話であった。 庭の手入れやら地元の肩肘張らない仲間とのつきあい、老人病に動転して健康体操に精進する話などはまさに普通の年寄りの暮らしぶりにちがいない。それは、

 丈を高く見せるべく懸命に背伸びし、あげくのはてに足首の関節を痛め、それでも努力して背負う荷の嵩を増やすためのたし算を重ねてきたつもりの半生

から身軽になった姿であった。健康体操で四股を踏み、汗だくになって草の上に倒れこみ、青空に流れる雲を見て

 もうどこへでも行けばよい。

と力の抜けた筆者の変貌ぶりは、筆者より片手ほど年嵩の身にも共感できる思いでもある。

だだし筆者のように「懸命に背伸びをした」という意識もないまま、うかうかと馬齢を重ねた身にはいささかほろ苦い味がしないでもない。

 

 

 

 

     いつの間にかくもうかうか敬老日

 

 

 

 

小屋を燃す

小屋を燃す