『泣きかたをわすれていた』 落合 恵子著
落合さんの講演を聞いたことはあるがまとまった本を読むのは初めてである。だが彼女が同年の生まれであり、またその誕生に係る事情、彼女が長い間母親の介護をされていたこと、子どもの本屋さんの活動に力を入れておられることなどは知っていた。そういう予備知識からみると、この本はフィクションの形をとっているが設定はほとんど私小説ともいっていい。長い介護からから解き放たれ老齢にさしかかったご自身を振り返って、ひとつの区切りとして書かれた渾身の長編だと思う。
冬子は認知症を発症し日々記憶の薄れていく母親を家庭で介護している。彼女と母親の関係ははそれ以外の他者を介在させなかっただけ濃厚である。幼い頃からの冬子の恐れはたったひとりの母より先に死ねないという一点にあった。
母より先に死ねないという思いは、母を死なせないという思いと重なって、わたしをむしろタフなファイターにしていたのかもしれない。
冬子の手厚い介護は七年間にわたった。そして十年。今度は冬子自身が老齢を迎える。時々ものを忘れる。仕事への気力も少しずつ萎えてくる。思い出すのはかって愛した人のこと。その人も今は亡い。周りの女友達の中にもぽつりぽつりと逝く人もでてくる。冬子自身も体調不良で検査を受ける。
いくつかの死を体験して、子どもの頃の重圧であり、母の介護が始まってから再びの重圧となった死への恐怖は、すでにいまのわたしにはなかった。
人生は、一冊の本である。そう記した詩人がいた。もしそうであるなら、今日までわたしはどんな本を書いてきたのだろう。七十二年の、わたしを生きた年齢という本を。
確かなことはひとつ。若いと呼ばれる年齢にいた頃、気が遠くなるほどの長編と思えた人生という本は実際には、驚くほど短編だったということ。
わたしはもういつ死んでもいいのだ・・・。
冬子は清々しい思いで涙を流す。
読まされた話だったが、触発されたわたしがしたことといえばものの始末である。何度してもなかなか捨てきれないものを今日はやっと二袋ほど整理した。そのせいで腰が痛くなって、昨日は首と指が今日は腰が痛いといっては家人に呆れるられた。なかなか清々しい思いとはいかぬ。
秋の声小沼かすかに波立ぬ
- 作者: 落合恵子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/04/09
- メディア: 単行本
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