春惜しむ

かぐや姫の結婚』   繁田 信一著

 摂関時代に「かぐや姫」とあだ名された姫の誕生から結婚までの実際のお話である。

 姫の名前は藤原千古(ちふる)。父親は『小右記』を書いた藤原実質である。道長の対立勢力の雄ともいう人物で、むろん当時の権力の中枢にいたうえ、莫大な富の持ち主でもあったとされる。彼が晩年に得た娘が「かぐや姫」で、何人かの娘を失ったあとにやっと得た子である彼女に、実質は千年も生きて欲しいという名付けもふくめて、これでもかというほどの愛情を注ぐ。そして、そのすべてが『小右記』に記録されているのだ。

 彼女のような姫なら、本来は入内して皇后の位につくことも可能なのだが、いかにせん道長の専横時代である。いくつかの縁談も道長一派のよこやりにあい、父親にしてはやや不本意な位の婿を迎えたのは、当時にしては晩婚ともいえる二十歳手前。それでも一女を得たらしいのだが彼女自身は二十代で亡くなってしまう。多分お産のせいではないかと筆者の推理。当時はお産は女性にとっては生き死ににかかわる大事だったようだ。

 その後は彼女の莫大な資産を受け継いだ娘が百歳ちかくまで長生きしたとか、失意の実質が呆けながらも九十歳まで長生きしたとかそんな後日談もある。

 

 平安朝の貴族社会の一こまを知るにはまあまあ面白い一冊ではあった。が、何か大事がおこれば神仏を頼るしか術がないというのは辛いことではある。平安期の薬師如来観音菩薩がかくまでも多いのは、こういうことであろうとつくづく考える。

 

 MRの検査を受けて(初体験)、病巣が縮小していると告げられる。久しぶりにホッとする。

 

 

 

 

     春惜しむふだんのことを一歩づつ

 

 

 

 

かぐや姫の結婚

かぐや姫の結婚

 

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