春炬燵

『苦界浄土』    石牟礼 道子著

 それにしても酷い話であった。石牟礼さんが亡くなったことをきっかけに再読しようと手にとったのだが・・・。

 発刊された1968年といえば大学を卒業した年で、当時この本を読んだ覚えはあるのだが、ここまでの重たさを感じて読めていたかどうかはわからない。今は親にもなり婆にもなり子を想い孫をも想えば、被害者になった人々の悔しさや悲しさや辛さは他人事とは思えない。

なむあみだぶつさえとなえとれば、ほとけさまのきっと極楽浄土につれていって、この世の苦労はぜんぶち忘れさすちゅうが、あねさん、わしども夫婦は、なむあみだぶつ唱えはするがこの世に、この杢をうっちょいいて、自分どもだけ、極楽につれていたてもらうわけにゃ、ゆかんとでござす。わしゃ、つろうござす。

 九歳になっても立つことも出来ず話すことも出来ず、ただただ耳をすまし澄んだ瞳を向ける杢太郎少年をかかえる 爺さまの嘆きは涙なしには読めない一節だ。

 昔はこれらはルポルタージュだと思っていたが実はそうではないらしい。「ものいわぬかれら」の胸の内を代弁した石牟礼さん自身の肉声であり告発であるというのだ。

 何と凄い仕事であろうか。

 「水俣病」で検索すれば「公式認定から61年、被害範囲は今も確定されず」とある。今だもって差別と偏見、誹謗中傷が残るともいう。いつの時代でも弱者が声を上げればそれに言いがかりを付ける人がいる。悲しい現実だ。

 

 「オリンピック」も終わった。人並み外れた努力の結果、栄誉のメダルに輝いた人の涙のインタビューを見ていてこちらも涙が溢れた。顔をくしゃくしゃとして鼻を赤くして我慢している隣人。お互いトシヨリは涙腺が緩い。

 

 

 

 

     老いふたりもらい泣きして春炬燵

 

 

 

 

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)