年詰まる

「ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた」 高橋 源一郎著

 こどもの言葉でこどもの気持ちで語るお話風社会批評。

  ある年の夏休み、語り手のランちゃんたち小学生四人は夏休みのものづくりのひとつとして「くに」をつくろうと考えた。こんな突拍子もない考えのこどもたちを見守るのは、自由な学園の園長さん(ハラさん)だったり、図書館の3階からふいに現れた肝太(カント?)先生や理想(ルソー?)先生だったり、ランちゃんの両親だったりする人たち。そうそうこのお父さんは源一郎さんの投影みたい。

 「くに」はどうやったらつくれるの?ランちゃんたちと同じ目線で考える。「くに」ってそこに属するひとが自由意志でつくるものなんだとか、属した人がみんなで守る約束(憲法)を持つものだとか、約束(憲法)を決めた時の精神が大切なのだとか・・・全くそのとおりなのですよね。

 皇族を思わせる人も登場。「象徴」という自由のないさみしさに触れながらその人の役割は「祈り」かなとも語らせている。

 あとクマちゃんっていう半裸の老人も出てくる。いつも図書館の奥にいて本を読んでいる。これはと見込んだ人物にキャラメルの箱をくれる。この熊楠さんに似た人物はこどもたちの未来の導き人かなあ。

たいせつなものをみつけて、未来のためにキャラメルの箱にいれる。それを繰り返す。(歳をとったとき)周りにたくさんのキャラメルの箱がある。最高やないか。

クマちゃんはこどもたちにそう教え、
勉強するんや。死ぬまでな。せっかくもろうた能力はたいせつに使わんとあん。・・・こういう場所にいると生き生きする人間がな。そういう連中が、人類を護っとるってことや。
と諭す。
 こどもたちの「くに」づくりはまだまだ進行中ということで終わるが、最後にはマルちゃん(マルクス?)も現れて続編がありそうで楽しみだ。
 
 何となく嫌な時代。こんな形で未来を語ろうという源一郎さんの明るさというかしたたかさに拍手。
 
 本日はスーパーの売り出し日なので迎春用の乾物類だけ仕入れてきた。黒豆・田作り・昆布・甘栗・身欠き鰊ぐらいである
 
 
 
 
 
     電飾の街路樹となり年詰まる