時雨

「日本の詩歌」 大岡 信著

 これはフランスで行われた日本文学の詩歌に関する講義の原文である。対象が外国人であることと話し言葉の記録であることから、多分読みやすくわかり易いだろうとTから借りた。

 中身は菅原道真漢詩から始まり、古今集から始まる勅撰和歌集と代表的な女流歌人そして中世後期の歌謡についてまでである。

 道真については政治的に不遇な生涯と天神さん信仰ぐらいしか知識がなかったのだが、その漢詩というのを初めて知った。大岡さんの現代語訳を通じて読む漢詩は現代詩とも言ってもいいほど社会的政治的で「自己主張」を持った内容だ。彼が讃岐の国にあった時、詠んだといわれる「寒早十首」という連詩は、いずれも第一行目に「何れの人にか寒気早き」(どんな人に寒気はまず身にこたえるか)と置き、貧しく生きることにに喘いでいる庶民を歌っている。また権力者の腐敗を糾弾する詩もかいており、とても千年以上も前の人物とは思えない、もっと顧みられるべき詩だとも思う。

 道真の漢詩は結局歴史の彼方に埋もれてしまって日本の詩歌の主流になったのは和歌であったのだが、和歌は形式としては極めて短い。それゆえに「外界の描写と内面の表現と一体化させる場合が多い」と大岡さんはいう。その辺りはもっと短い俳句なども一緒で、「物に託して心を詠む」などと教えられたことはそういうことかもしれない。よく詩を内容に照らして叙情詩・叙景詩・叙事詩などと分類するが日本の詩歌ではそのへんが非常に曖昧で叙景詩はまた叙情詩でもあったというのである。そして、詠まれた内面は圧倒的に恋心が多く、代表と挙げられたのは笠女郎や和泉式部式子内親王の女流歌人後宮文化に支えられた女性の活躍を世界の歴史でも異例のこととして紹介している。

 最後に触れられたのは「梁塵秘抄」や「閑吟集」といった俗謡である。残存しているものはかって収録されたもののほんの一部分らしいが、名もない庶民のエネルギーや信仰心をうかがい知ることができる。これらの歌い手の多くは遊女といわれた人々であったらしく、ここでもやはり昔の女性たちのたくましさが思われる。

 かつて読んだ本で丸谷才一さんは「日本文学史は詩歌の文学史である」というようなことを書かれていたが今回の読後感もまさにそんなことを考えさせられた。

 

 

 

 

 せめて時雨よかし ひとり板屋の淋しきに   閑吟集

 

     (せめて時雨でも降ってくれ、わびしい小屋での独り寝はさみしいからなあ。)