石蕗(つわ)の花

 トシヨリの特性に「記録したがる・まとめたがる」というのを挙げていたのは池内さんではなかったか。読んだ時納得したのを覚えている。拙い人生でも、いや拙い人生だからこそ、記録しまとめて意味付けしようと思うのかもしれぬ。日々の出来事は紙の日記とブログ、金銭の収支、読了した本、作った俳句、拙い作文、旅行先、感銘を受けた言葉、太陽光発電の発電量と消費量などなど。書いてどうなるというものもあるが止められぬ。
 H殿も最近読了した本を記録しだした。何でもこの前会った先輩に読了本をびっしり記録した手帳をみせられたらしい。「お前に借りた本の出版社はどこだった」と聞いてきたりする。

 さて、昨日「朝日俳壇」を記録していて(これも気に入った句だけ記録し続けている)清水哲夫さんの「ネット歳時記を終えて」を読んだ。「増殖する歳時記」はよく読んでいたが、終わってしまって残念に思っていた。この文章で清水さんはネット歳時記を始めた動機を既成の歳時記への不満だと書いている。「例句として掲出された句のほとんどに、季語との結びつきの根拠が見えない」と言い切っている。これはどういうことなのか、既成の俳句の否定ではないか、いろいろ考えてしまった。幸い「増殖する歳時記」はネットで季語検索ができるようなので読み直してみようと思う。



     城番のひとり居るだけ石蕗の花