墓洗ふ

 二十四節気のひとつ 立秋。秋の気初めて立つ頃との意味。立秋と言えば古今集藤原敏行の歌を思い出す。
 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
 詞書にも「秋立つ日によめる」とある。現実には夏だがかすかな風に秋を感じる繊細な美意識である。今、我が家の風鈴も可憐な音を奏でかすかな秋を教えてくれる。
 盆が近づき、今朝は町内の墓掃除。この頃は墓掃除でも出欠をとるようになった。ぽつぽつと墓守りを失ったり、遠隔地で墓掃除に来ない人が出てきたせいもある。一昨年、話をしながら草引きをしていたIさんは墓地の権利を返納した。息子さんが田舎に帰ってくるかどうかわからないのに墓を用意してもしかたがないということらしい。後ろ隣の墓のOさんも今の墓を片付けると言う。永代供養をしてくれるお寺の墓を買ったからとのこと。はてさて我が家はどうなるかと、以前Tに愚痴たところ「そんなことはあんたは考えんでもいい」と言われてしまった。誠に然り。死んだ後のことなどどうでもいいではないか。



     散骨の話などして墓洗ふ

    

 

桔梗