梅雨深し

 「日本の神々」 谷川 健一著
 本居宣長は「古事記伝」で日本のカミを「可畏き(かしこき)もの」と言い、谷川はそれをみごとな定義だとしている。原初のカミは例えば風であり、獣であり、稲の精霊であり、祖先の死霊あり、人にに災いをもたらすもの、あるいは力を授けるものであったと言うのだ。人はカミを畏れ、敬い、その力を借りようとしてきた。長い年月を経てカミは人格をもった神となっていたが、その過程で神による神の放逐、神観念の拡大、異国の神の勧請など様々な出来事を経て今日の神々に至ったとしている。
 民俗学の研究者である筆者は神祭りの原初の姿を求めて沖縄地方などを訪れ多くの記録を残しているが、かの地でもそれらの記録を最後として途絶えてしまった神祭りも多いらしい。「神と自然への畏敬を失ったことが、現代日本の精神の荒廃を招いた」と筆者は嘆くが、今や人格神となり原初の姿を忘れてしまっても「可畏きもの」への畏れと敬いの思いは決して忘れられてはいないと思うのだが、どうだろうか。

カラスの子、巣を出て羽ばたき練習中。


     ヒロインの死で終わる映画梅雨深し


日本の神々 (岩波新書)

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八重の梔子