涼し

 我が家には柿の大木が三本ある。本当は四本なのだが、一本はいつまでたっても大きくならぬ種類で、小さいまま歳を重ねた。今時、庭に柿の木があるような家は珍しい。かってはあった家でもたいていは切ってしまわれた。庭にあって風情のあるものではないし、落葉の時期は枯れ葉の始末が面倒。柿の実を有難がることもなくなった。食べ切れぬものがぼたぼた落ちたりすれば困りもの。そうは思ってもこの古家とともに歳を重ねてきた老木を切ることは出来ぬ。一点良いところがあるとすれば、夏の日除け。重なった深い青葉が南からの強い日差しを防いでくれる。縁側に転がって葉裏を眺めていたら、ふいに翡翠が飛んできたこともあった。今は木陰に、オハグロトンボが群れている。
 今年は一年おきの不作の年で実があまり見られない。毎年実をつけるにはあまりにも古木になりすぎたようだ。


     父祖よりの柿の大木涼しかり