燕来る

 新聞の俳壇を写す。俳句を始めた頃からの習慣。もう二十年ほどになる。初めの頃、俳句雑誌の巻頭などの職業俳人の俳句がちっともわからなかった。いまでも似たようなものだが、その訳はなんとなくわかる。長い間詠んでいると、だんだんマニアックな世界に入っていかざるのではないかということ。それに対して、新聞俳壇には新鮮な着眼や表現があり、心惹かれる句が多いのだと思う。それらを書き写すことが、結社もやめ句会にも出かけなくなった今では、唯一の勉強機会。今は以前のようにすべてを写すことはしない。選句のつもりで気に入った句だけを写している。
 木蓮が開花。桜もいまにも咲きそうになってきた。


     駐在に新卒ひとり燕来る