蘆の角

 あの日から五年である。未だに行方の知れぬ人、未だに仮設に暮らす人、未だに帰還のかなわぬ人、五年の月日が何ももたらさなかった人達のことを見聞きするたび、痛ましさと腹立たしさに言葉を失う。当事者でない者は、ただただ「忘れない」ことしかできない。
 あの年の半年前と一年半前東北へ行った。半年前は常磐線でいわきに入り、白水阿弥陀堂や塩屋崎灯台を車で回った。その前の年は登米から南三陸町気仙沼市と45号線を走った。途中で「小泉海岸海水浴場」との案内標識を見つけて、寄ってみることにした。松林の手前に駐車場があって、サーフィンに来たらしい人達が2・3組。ごろんと横になっていたのら猫を撮ったりした。松林を抜けて海岸に出ると、季節外れで人影は少なく、広々と太平洋が開けていた。ハマナスが赤い実をつけていたのも思い出す。
 あの「小泉海岸」はどうなったのだろう。先日ふと、グーグルのストリートビューで見られないかと思いついた。グーグルが被災地の復興の様子を映像に残しているとあったから。早速検索した。
 おぼえのあるあの交差点から見た小泉海岸方面。何もない渺茫たる水辺であった。まさに津波は根こそぎさらっていったのだ。


     泥かぶるたびに角組み光る蘆  高野ムツオ



かつての小泉海岸松林


交差点から見た今の小泉海岸方面