八月

原民喜戦後全小説』 原 民喜著

 毎年八月は「戦争関連文学」を読むことにしている。今年は原民喜の『夏の花』を読もうと思い、Tの本棚から掲出の本と『原民喜全詩集』、それから梯久美子さんの評伝『原民喜』を出してきた。まず梯さんの本の序章で彼の自死の件を読んで、その事実に暗然とさせられた。 

 その後でまず『夏の花』だけ読もうとこの本を手にしたわけだが、被爆体験を描いたこの本もまた重い内容である。内容は三部作からなり最初は被爆直後(夏の花)、次が避難先での戦後の苦しい暮らし(廃墟から)、最後が被爆前の日常(壊滅の序曲)である。私は順序通り読んでいって原爆炸裂の四十時間あまり前からもう一度最初に戻った。それで、笑ったりいがみあったりする平凡な日常があっという間に崩れてしまう恐ろしさがよけいに身に沁みた。たしか井上光晴の『明日』も同じような設定だった。

 「戦争文学」などというジャンルは本当は好きではない。一年にせめて一回でもその地獄絵図に目を向けるのが生きている者の務めではないかと、ささやかな供養の思い。

 

 

 

 

       死者たちに寄りそふおもひ八月来

 

 

 

 

猛暑

『死をみつめて生きる』 上田 正昭著

 副題は「日本人の自然観と死生観」。東日本大震災後、寺田寅彦博士の「日本人の自然観」のいましめを思い出したことがこれを書くきっかけになったとある。つまり災害の多い日本では自然は時として「厳父」として「遊情に流れやすい心を引き緊め」てきたが「西欧科学の成果を何の骨折りもなくそっくり継承した日本人」の現在のありようを「ただ天恵の享楽にのみ夢中になって、天災の回避の方を全然わすれているように見える」と戒めた一文である。まさに今回の原発事故などはこの警告そのものであるといってもよく、上田先生はそれゆえに自然と共に生きてきた日本人の原初の心を諄々と語られるのである。

「又、人はさらに云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり」

本居宣長の言葉を引いて日本ではあらゆるものに神性をみいだしてきた。そのありようは決して未開・原始的なアニミズムとして下等に見られるものではなく、むしろこれからの世界の宗教の目指すべき方向を示唆するものではないかと言われるのだ。

 

 

梅雨明け以来連日の猛暑日である。昨日、一昨日と岐阜県は全国一の暑さを記録。諸々の出来事も重なって「勉強?」も中途半端である。

 

 

 

         早起きは三文以上猛暑かな

 

 

 

 

涼し

『魂の秘境から』 石牟礼 道子著

 文章を書くということは、自分が蛇体であることを忘れたくて、道端の草花、四季折々に小さな花をつける雑草とたわむれることと似ていると思う。たとえば、春の野に芽を出す七草や蓮華草や、数知れず咲き拡がってゆく野草のさまざまを思い浮かべたわむれていると時刻を忘れる。魂が遠ざれきするのである。わたしの場合、文章を書くということも、魂が遠ざれきすることになってしまう。遠ざれきとは、どことも知れず、遠くまでさまよって行くという意味なのである。

 石牟礼さんの遺作である。身体の自由を失った石牟礼さんの魂(まぶり)は蝶となって水俣の懐かしい海辺や野山を遠ざれきする。幼かった頃の親しかった海や山の思い出。父や母に慈しまれた日々。そして、たおやかな水俣弁のひびき。

 間あいだに挟まれた芥川仁氏の写真もまた詩情にあふれ、珠玉の一冊となった。

 享年九十歳。このような高齢までかくもしなやかな魂(まぶり)を持ち続けた稀有なひとであったと思う。

 

 

 

 

          理髪店客来るまでの門涼み

 

 

 

 

魂の秘境から

魂の秘境から

西瓜

『平成遺産』

 八人の著者による平成オムニバス。あまりおもしろくなかったから一頁よんで止めた人もいたが読み通したなかでブレイディみかこさんの「ロスジェネを救え?いや、救ってもらえ」はちょっと考えさせられたので触れておきたい。

 みかこさんはイギリス在住なので「平成」という括りには詳しくないと断りながら年ごとの「流行語大賞」を手がかりに話を進める。

 平成21年の「派遣切り」とか「年越し派遣村」とかを手がかりにこの年こそ「経済的には致命的なクルーシャルだったように見える」と書いている。そしてこの年は政権交代のあった年でもあり、いわば時代が変わるという高揚感とは裏腹に不況感の色濃い言葉が選ばれたことにも触れ、この政権によってなされた「事業仕分け」などは不況に油を注ぐものだったのではないかと言っている。彼女は緊縮財政に異議を唱える人であるから経済に疎い身はそういうものかと思うしかないが、一時は「事業仕分け」に拍手をした身にとっては複雑な話だ。

 ロスジェネ世代というのはバブル崩壊後の就職氷河期と重なった世代で派遣や契約社員など不安定な雇用を余儀なくされた年代層をいう。若いうちにきちんと就職できなかったので貧困に苦しむ人が多い。「この層を支援し、彼らに社会を助けてもらうための投資を国が大々的に行えばいい」つまりロスジェネ世代を救う政策を打つことがこの国の縮小状態を改善する一助になるのではないかというのがというのが表題の意味である。

 そんなお金はない?いやお金はありますよと彼女。あんなに「国の借金、借金」と言われたていたのは財務省プロパガンダだなんて。去年の10月にIMFが発表した資料では日本のバランスシートは負債と資産がほぼ同額でプラスマイナスゼロだというのだ。この資料は日本のマスコミには無視されたらしいが「借金、借金」と煽ってきただけに都合が悪かったのだろうか。

 はてさて、私はいつも都合よく騙されてきた愚衆のひとりだったようだ。「こりゃ経済を勉強しなきゃ」とTに言ったら、「そりゃちょっと難しいよ」と笑われた。

 

 

 

 

         五分にて当落決定西瓜切る

 

 

 

 

平成遺産

平成遺産

『絶版殺人事件』 ピエール・ヴェリー著  佐藤 絵里訳

 図書館の新刊コーナーで立派なミステリー本を見つけ、雨のつれづれに読む。作者はフランス人、作品は第一回フランス冒険小説大賞を受賞とある三十年前の作品だ。

 謎を解くのはフランス人の引退した古文書管理人だが事件の舞台はスコットランドである。なぜだろう。謎めいた事件といえばイギリスの方が舞台装置としてはいいのかしらん。

 あけすけの感想を言えば星三つかなである。同じ舞台で関係のないふたつの事件がからみあって複雑だがすっきりした読了感がない。古い手紙が事件の発端になるのだがそれがなぜ犯人の手に渡ったのか説明がない。読み落としたのかと読み返してもわからぬ。犯人が手紙を元に画策に走る過程がわからぬ。だから謎解きをされても納得感に乏しい。

続けて二冊読んでミステリーはもういいなと思う。

一日中本を読んで動かぬのでH殿は「勉強のしすぎ」と揶揄する。梅雨が明けたらやらなければならぬことはいろいろあるのだがこの天気ではどうにもならない。

 

 

 

 

       読みまちがひ覚えまちがい黴の書庫

 

 

 

 

絶版殺人事件 (論創海外ミステリ)

絶版殺人事件 (論創海外ミステリ)

 

 

梅雨長し

『アジア海道紀行』  佐々木 幹郎著

 県の図書館で未読の佐々木さんの本と久しぶりに出会った。この人の書きっぷりが好きなのだが最近はどうしておられるのかなかなか出会わない。この本とて発刊は古いといえば古い。

 海道紀行というのは鑑真などの足跡を辿りながら東シナ海を取り巻く港や都市を巡る旅の記録だ。坊津・揚州・舟山群島・寧波・長崎・釜山・済州島・平戸そして上海。東シナ海を内海のようにしてぐるりと回り人の交流や物の行き来を振り返る。昔の古い言葉に「海彼(かいひ)」という隣国を表す言葉があったというが、鎖国以前の日本には海を通してのお隣という意識があったのではないかと佐々木さん。

 鑑真は日本への渡航を依頼された時、反対する弟子たちを制して「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」と語り、六度の苦難を乗り越えて来日されたそうだが、この言葉はもともとは長屋王が中国に送った袈裟に縫い取られた言葉で、鑑真はそれを日本の心ある言葉として引用したのだという。

 「山川の域は異なっていても風月は天を同じうする」「海彼」とのお付き合いでは千三百年前のこの言葉を今こそ静かに思い返す時かもしれぬ。

 

 

 

 

         傘立てに傘はあふれて梅雨長し

 

 

 

 

アジア海道紀行

アジア海道紀行

 

 

青大将

『天野 忠随筆選』   山田 稔選

 天野さんの既刊の随筆集をもとに山田さんが編まれた随筆集である。天野さんの詩集は先に読んだが特に心に残っのは老妻ものだ。これは随筆集であり詩集とはまた違った趣があるに違いない。

 あとがきで山田さんは、「何でもないこと」が天野忠の随筆の中身だ、「何でもないこと」にひそむ人生の滋味を平明な言葉で表現するのが文の芸だと書かれている。天野さんも自身を何でもなさを嗜好とする天邪鬼的な存在だと認めておられるし、その詩もそういうものだったように記憶する。

 天野さんは若い頃から蒲柳の質だったらしく最小限の働きで糊口をしのぎ後は悠々自適で生きてこられたような印象を受けたのだが、どうであろうか。どれを読んでも韜晦したような謙虚さが滲み出ている。

 いくつかの暮らしの断片からしみじみとした滋味を味わわせていただいたが、ことに心に残ったものはやはり老いてからの暮らしの断片である。念願の書斎ができてその天袋に古日記や古ノートの大束をしまい込もうとしての述懐である。(「書斎の幸福」)本当は一度に焼いてしまうつもりが焼けなかった古いノートや古い日記帳。

 「 三十年も昔のノートの頁を繰ることが出来るというような、そのようなことが出来る境涯になったということ、少しばかりもの悲しく、しかしまた少しばかり満ち足りたような感じ・・・これがひょっとしたら幸福というものかもしれない。」

たぶんそうだろうと肯いつつも、いやそれだけではないだろうとも思う。

 「残して置きたいというのは、生きてきた証拠がためみたいなもの、幸や不幸とは関係なく、この人生にしがみついて生きてきたことのしるし・・・」

 

 ふと、呆けるまで五十年以上に渡って日記を書いてきた姉のあの膨大な日記は、今や無人ともいえる家で静かに埃をかぶっているかなと思う。姉は歳をとったら読み返すのを楽しみのひとつにすると言っていたのだが。姉程ではないがもう三十年ぐらいになる自分の日記や句帳だって、何ほどのこともないくせにたまっているではないか。

 

 先だって岩波ブックレットで『年表 昭和・平成史』を買った。1926年から2019年まで一年一頁の記載である。欄外に自分史や家族史を記録してみようと思ったのである。天野さんではないが、全く「生きてきた証拠がためみたいなもの」である。トシヨリは記録したがる整理したがるといったのはたしか池内さんだったと思ったけれど・・・。

 

 車庫の脇の蝋梅の茂みにスズメバチが巣を作っているのを見つけた。まだハンドボールのボールほどだが今のうちになんとかしなければとH殿。何年かに一度はあるのだが、またまた余計な物入りである。蛇やら百足やらと自然との共生もなかなか厄介だ。

 

 

 

 

         漢にも泣きどころあり青大将

 

 

 

 

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))

天野忠随筆選 (ノアコレクション (8))