更衣

 興味のない人にとっては何ということもないが、このところシャグジ神について思いを巡らしている身にとっては、ちょっとした歓びであった。興味の対象が繋がることを、中沢さんは、遠く離れた地点で地層の連続面を見出した歓びにたとえて「構造の歓び」と言っているが、(『精霊の王』)ささやかながら似通った思いである。

 というのは、この辺りの郷土史書を読んでいて隣村に社宮神社があるのを知ったのである。本社は八幡神社だが同じ境内に社宮神社もあるらしい。早速確かめてきたいところだが、それはさておき御祭神がウカノミタマというのも興味深い。ウカノミタマは最初に秦氏によって祀られた稲荷神である。中沢さんの本によれば秦氏の祖ともいうべき秦河勝がシャグジ神(宿神)だという伝承があるらしい。能の金春流に伝わる話によれば、昔泊瀬川が洪水になり流れ着いた壺から現れた赤子が河勝で、成長後聖徳太子を助け、後に神になったのだという。

 そこでもう一つ、先日書いた「赤石神社」についてである。調べてみると御祭神は不明という記述と御祭神は社宮大神という記述がある。面白いのは神社に伝わる縁起で、御祭神は長良川の洪水で流れ着いたというのである。金春流の話と一緒ではないか。

シャグジ神ー洪水伝承ー秦氏ー稲荷神

縄文由来といわれ、諏訪の神長官守矢氏が祀る神が、芸能の神として秦氏の伝承を加え、こういう片田舎まで繋がってきた、その不思議をつくづく思う。おそらく多くの人の長い間の行き来がもたらしたものに違いない。

 

どころで、一昨日のことであるがモズ君が子モズを蹴るのを見た。もう親離れをしろと言わんばかりに二度も蹴られた子モズは飛び立つて行って、それっきりである。今日もモズ君は来たがもちろん一羽だけ。鳥の世界は厳しいものだ。

 

 

 

 

         定まらぬ陽気このごろ更衣

 

 

 

 

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五月尽

昨日から何度もモズ君が子ども連れで里帰りだ。連れている子モズは一羽だけだがおそらく一番の甘えん坊にちがいない。飛び慣れた梅の枝を枝移りしながらまだ羽をばたつかせて餌をねだっている。さすがに親モズも知らんぷりといった様子だったが見てないところではわからない。黒猫がうろうろしていたら威嚇する鳴き声を発していたのは相変わらずだし、H殿の話では畑をうろついていた鳩にも急襲を仕掛けたらしい。

 

 来週、梅雨入り前を選んで信州の諏訪地方に行ってこようと思う。前々から気になっていた「尖り石遺跡」出土の国宝土偶を見ることと諏訪大社の「神長官守矢史料館」を見学するためである。今、この関連資料として中沢新一さんの『精霊の王』を読んでいる。これは縄文由来の信仰対象である「シャグジ神」について書かれたものだ。「シャグジ神」というのは古層の神様で諏訪湖周辺ではいまでも多く残っているらしい。もっとも最初にこの神様に興味を持ったのは、仕事場の近くに「赤石神社」というのがあり、今はおそらく国家神道の神様が御祭神だろうが「シャグジ神社」というのが本当だろうと思ったからである。この土地が「本郷」というのも古いものに通ずる何かがあるような気がして勝手に想像を膨らましてきた。私の興味などというのはたいして深入りすることもなくいつもいい加減なのだが、これを出かける言い訳にしようと思う。

 

 

 

 

         五月尽雨になるとは思わざり

 

 

 

 

九州地方梅雨入りとか。いよいよ雨の季節だ。

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精霊の王

精霊の王

みどり

『悲しみは憶良に聞け』 中西 進著

 令和騒動に便乗して読んだわけではない。先に人麻呂論を読んでから憶良のことが気に掛かっていたからで、中西さんの本にしたのも読みやすそうだと思ったためで他意はない。長々と言い訳めいたことであるが年号が変わったという大騒ぎの片棒を担ぐ気にはならないので、すみません。まあ私も少しだけ偏屈だがこの憶良という人はかなりの偏屈だ。今回初めて知ったのだが「自然詠」ということを全くしてないようだ。歌の対象は専ら世間(社会)であり人間であり自分であるから、恋の歌などというのもない。万葉集に漢文の長文や序、漢詩が収録されているのも彼らしい。断り書きがないから憶良作とは言えないらしいがおそらく今回の「令和」の出処になった序文も彼の手ではないだろうか。

 さて憶良という人は74歳で亡くなったが(当時としては長命だった)はっきりと氏名が史書に登場するのは42歳に遣唐少録(書記)になった時点で、それまでの経歴は全く不明らしい。中西さんは、多分彼は幼少のころ父と百済から亡命、若いうちは写経生ではなかったかと推察されている。唐から無事に帰国後、伯耆の国や筑前の国の国守を務めている。

 中西さんの言葉を借りれば、「情緒より論理」を重んじ、理屈っぽく自制心も強く現代人のように自我の悩みを詠った人であった。仏典や漢籍にも造詣が深く仏教的悩みや漢籍に寄った詩的表現も指摘されている。有名な「貧窮問答歌」(びんぐもんだふか)や「子らを思へる歌」も彼の体験を詠ったものではなく普遍的なものを歌にしたものだというが、だからといって憶良の社会派歌人としての値打ちが下がるものではなく、普遍的だからこそ今の私達の心に響くと思う。中西さんによれば憶良の生涯を通してのテーマは「悲しみ」であるとされる。人や物や己を愛おしいければ愛おしいほど哀しい、憶良はそういう「悲哀」を詠った歌人だというのだ。

  士(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語りつくべき名は立てずして

 注によれば、この歌が詠まれたときの事情は、重病の憶良を見舞った人に対して涙ながらに口ずさんだという。最期まで名にこだわった憶良のこういう自我はどうだろうか。わたしなどはちょっと苦手だ。中西さんはこの「べき」「べき」と二つも入り、反語表現で終わるこの歌が「いかにも『相克と迷妄』をくりかえした憶良にふさわしい」歌だと書いておられる。

 

 昨夜は就寝前に娘とメールで昔話をして、憶良ではないが旧(ふ)りにしの疾きを嘆いて感傷的になってしまった。そのせいか夜半すぎまで寝られずに本は読めたが頭はすっきりしない。

 

 

 

     子の皿に塩ふる音もみどりの夜   飯田 龍太 

 

 

 

 

悲しみは憶良に聞け

悲しみは憶良に聞け

夏の川

『暮らしの断片』  金井美恵子=文  金井久美子=絵

 「暮らしの断片」とあるだけに暮らしのなかのこだわりについてつづた文章である。そこは金井さんらしくあとがきで、最近の女性向きメディアで流行語になっている「ていねいな暮らし」つまりすてきな暮らしを自慢げに啓蒙する文章ではないとわざわざ断っておられる。でも、初出が女性向け生活啓蒙誌でそこでこだわりを披瀝するのは、読む方にとっては同じように思える。だからといって素敵な暮らしのこだわりのいくつかを嫌味と思うわけではない。真空調理鍋も手軽なコーヒーメーカーも高級ソックスも麻のタオルも瀟洒なカラトリーもみんな心を動かされた。検索して「購入」をクリックしなかったのは偏にものを増やしたくないから。

 こういうものについての話以外には今は亡き飼い猫の思い出話があるのだが、こちらは文句なく同感した。猫の思い出はあの手触りにあると言って「指さきをかすめて行く尾の先っぽの細さや、曲った尾の骨のこと」に触れておられたが、このくだりを読んだだけで昔懐かしい我が猫の手触りを思い出した。

 美恵子さんの文にばかり触れたが、気に入ったのはお姉さんの久美子さんの絵である。童画にのようなあたたかみのある明るい絵である。かなりの頻度で猫も登場、「眠る猫」とか「トラー」とかはコピーして残しておきたいほど。同じトラ猫で長谷川潾二郎に「猫」という作品があったのを思い出す。描画だけでなくかわいいものを集めたコラージュもいい。

 楽しませていただいた一冊だった。

 

 

 

 

          大鯉の水切る背びれ夏の川

 

 

 

 

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たのしい暮しの断片

たのしい暮しの断片

雨蛙

『これで古典がよくわかる』 橋本 治著

 どういうわけだか昨夜は眠気がなかなか訪れなくて、夜半すぎまでかかってこの本を読了してしまった。橋本さんの言葉によれば、古典に嫌気がさしているにちがいない受験生が対象ということで、誠にわかりやすい。いいおさらいができたと思う。

 そのひとつは、日本語の表記が漢字だけの漢文から始まり、万葉かなでの万葉集、ひらがなだけの源氏物語、カタカナ+漢字の今昔物語集を経て、やっとひらがな+漢字の徒然草に至るまでの道筋である。この間450年、なぜこんなに時間が掛かったかと言えば、チコちゃん流に言えば「それは教養ある大人が漫画を読むようなものだから」だそうだ。つまりひらがな書きは馬鹿にされてた。

 和漢混淆文でも『徒然草』は二種類の文章が入っていて、意味がとりやすいのはカタカナ+漢字の書き下し文由来、意味が取りにくいのはひらがなだけの女性の文章由来というのは、言われてみて初めて気付いたことだ。どうやら若き日の兼好さんは女性のひらがな文章に触発されて『徒然草』を書き始めたらしい。

 これ以外にも勉強になったことはいろいろあったが、ひとつは「あわれ」と「をかし」をどう訳すかということ。「あはれ」は「ジーンとくる」で、「をかし」は「すてき」なのだ。「しみじみとした風情」とか「おもむきある」とかピンとしない言葉で訳していたなと思う。

 古典といえばもっぱら平安時代の女性文学を指すのは明治政府の政策だから、わかりやすい和漢混淆文あたりからどうぞということだが、和漢混淆文あたりは卒業しても平安時代は敬遠しっぱなしだった身としては、せめて橋本訳の平安古典でも読んでみるのがいいのかな。

 

 

 

     ジャムを煮る甘きかをりや雨蛙

 

 

 

 

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春の花が終わってだんだん庭も夏めいてきた。H殿は今日、馬鈴薯の初収穫。

 

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

新茶

 友達のIさんから久しぶりに連絡があった。今年も新茶ができたというのである。実はIさんのご主人は体調を崩されて1月以来入院。今年のお茶はとてもでないだろうと半ば諦めていた。それが例年よりは少ないができたというのである。何でも病室からご主人がお手伝いの人にいろいろ指示をされたりIさんの奮闘もあったりのことらしい。今年は遅霜もあって一部はその被害もあり貴重なお茶として大事に味あわせてもらわなければと思う。なおご主人はまだ杖が必要ながら来月には退院ということで何よりだ。

 新聞でNHKラジオ2の「朗読」を楽しみにしているという投書を読んで、パソコンで「らじる★らじる」を聞くことを教えてもらう。何のことはない。検索で出して「お気に入り」に入れておくだけだ。今は樋口一葉で『たけくらべ』。聞き逃しても何日かまとめて聞けるのはいい。これは利用できそうだ。

 図書館で面白そうなものを三冊。橋本治さん『これで古典がよくわかる』・中西進さん『悲しみは憶良に聞け』金井美恵子さん『暮らしの断片』。今読んでいる森まゆみさん『子規の音』と合わせてどれにも食指が動く。

 

 

 

 

         父祖よりの山を守りて新茶摘む

 

 

 

 

聖五月

 降りそうで降らない。先週は珍しく体調を崩し発熱。ウオーキングもしなかったが少し気力も戻ってきたので曇天を幸いに歩く。用水の水はたばしっているがまだ田には入っていない。この辺りはいつも遅いのだ。

 

 

 

 

           庭の花十指に余り聖五月

 

 

 

 

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今日出会った子。野良のようだ。

 

アイヌと縄文』 瀬川 拓郎著

 過日アイヌに関する本を読んで「アイヌ縄文文化」の関連が気になっていた。この本で著者は

 アイヌこそ、日本列島の縄文文化、縄文語、縄文人のヒトとしての特徴を色濃くとどめてきた人びとにほかなりません。

と書いておられる。

 まず人としての特徴は最近のDNA分析で本土人より縄文人に近いことが明らかになった。もっとも遺伝的特徴は縄文人そのままでなくオホーツク人あるいは本土人との混血もうかがえるということだ。縄文人は、彫りが深く鼻が高いなどの形質的特徴を持ち「モンゴロイド離れ」した風貌の人々だったようだがそれはアイヌの人にも感じられるとおりである。

 言葉についてはどうか。縄文語を直接知ることはできないから推測でしかないのだがアイヌ語に近いものだったのではないかという。それはアイヌ語が日本語より言語としても古い特徴を持ち、また日本語の地名などにアイヌ語で説明できるものがかなりあるからだ。縄文語(アイヌ語)と思われるものが東国だけでなく遠く九州北部(肥前国)にも残り、その言葉を使う人々がイレズミをもつ漁労漂海民であった(近代まで)というのも興味深い話だ。

 縄文文化についてはどうか。例えば宗教儀礼だが縄文社会では一定期間飼育した子イノシシを殺す祭りがあったようだがこれはアイヌのクマ祭りに受け継がれたと思われる。近世になってからはみられなくなったらしいが人の死後何年かは埋葬しないというモガリの習俗も縄文起源である。現日本人同様山を神聖視する宗教観もまた縄文由来であろう。そしてなによりアイヌの人々の縄文由来の思想として筆者は「モノの売買に対する忌避」を挙げておられる。商品経済が人々の階層化を促し権力者を生み争いをおこした。アイヌの人が守り通そうとした縄文思想は人を差別化しないそれとは対極の思想だったというのだ。だからといってアイヌの人々も狩猟民としての獲物の多くを和人との交易に当ててきたわけでありそのあたりの苦労というか理屈づけはあったわけだ。

 さて『アイヌと縄文』の深い繋がりを知って改めて消えていこうとしているアイヌ語アイヌ文化のことを思う。それはひとつの少数民族の問題というより私達日本人の心の故地の問題だと思う。