遍路

二日目

 鳴門大橋を渡って徳島県

 大塚国際美術館

  ここはすでに行かれた人も多いと思うが、我が家は初めてだ。大塚グループの造った偽物大規模美術館である。偽物といっても本物の写真撮影を陶板に焼き付けたもので筆使いも傷みも全くほんものそのものなのだ。この全く実物と変わらぬ名画が膨大に(1000点以上らしい)展示されているのは圧倒されるというか食傷気味になるというか、ともかく疲れた。古代ギリシャ・ローマから始まって現代まで、だだっと見て回っただけだが3時間もかかった。我ながらよく歩けたと、このところのウオーキング効果を実感した次第だが、それにしても西洋美術は宗教絵画だ。キリストの磔刑ばかりどれだけ見せられたかしれぬ。

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 「最後の審判」では我が同行者たちは「我々異教徒は地獄に行くしかない」と。

 

霊山寺

 あまりに疲れ、昼食を食べ損ねてそのまま次の目的地に。四国に来たからにはお大師さんの袖に触れていかないわけにはいかぬと一番札所霊山寺に寄る。一番札所だけに遍路用の装束を購う店があるが、庶民的な寺である。ご本尊は釈迦如来、本堂と大師堂にお参りする。H殿は「般若心経」を読むが当方はお参りだけ。「同行二人」のお遍路さんの姿もちらほら。大師堂で熱心にお経を読む若い男性や荷物をいっぱいを背負った女性の姿も見かける。こういう巡礼信仰はいつ頃始まったのかと素朴な疑問を感じる。

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眉山

 吉野川を渡って徳島市内へ。

 徳島出身の寂聴さんの本などで目にした「眉山」という名前。確かそんな映画もあったはずだ。岐阜の金華山よりは低いが同じようにロープウェーで登れて市街地が見渡せる。山頂公園は桜もほぼ満開、下を見れば海を始め四国三郎の悠々たる流れ。疲れた我々はただぼんやりと景色を堪能した。

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目の前の山が城山でその手前に徳島駅がある。川は吉野川

 

 

 

 

        吾もまたにはか遍路や大師堂

山笑ふ

淡路・徳島への旅

一日目

 「淡路島へ行く」言ったら友人に「玉ねぎでも買いに?」と聞かれたのだが確かに今は最盛期らしい。「10キロ1500円」の看板もあり。まさか玉ねぎではないが、どこで何をするというたいしたプランもないまま人形浄瑠璃だけは見ようかと計画していた。

淡路人形浄瑠璃」を見る

 島に渡って昼食の後「淡路人形浄瑠璃」の常設館を訪ねる。淡路では江戸の頃から盛んな娯楽だったそうで、明治の頃までかなりの数の人形座があったらしい。もちろん今は一館のみで町民の娯楽というより観光客向けの感がある。上演時間は45分間、演目は戎舞と「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」である。これはご存知のように八百屋お七の火事をもとに書かれたお話である。朗々たる浄瑠璃語りもさることながら、太棹三味線のびんびんたる響きでどっぷりと引き込まれた公演であった。なかなか運営は厳しい雰囲気であったが伝統的文化として永く残してほしいものだ。初体験の我らとしては興にのったあまりこれは「文楽」もぜひ体験せねばと話したことだ。

「松帆銅鐸」と「牧牛図」

 宿に向かう途中、三年ほど前ここで発見された銅鐸を見による。レプリカでも見たいというH殿の意見に従ったのだが幸いにも本物二点が展示中(全部で七点が発見された)思ったより小さい。この小さな銅鐸が注目されたのは一緒に「舌(ぜつ)」と紐が発見され、その使い方がわかったからである。つまり吊るして鳴らすというのだがレプリカで鳴らしてみるととても澄んでいい音を出し、弥生人たちの喜びがわかるような気がする。この銅鐸を「発掘」ではなく「発見」としたのは工事用に運び込まれた砂の中からでてきたそうで発掘場所は推定でしかないらしい。

 この銅鐸展示館は本来は南画の直原玉青という方の美術館で「うしかい草」という牧牛図の連作が展示されていた。Tにこれは禅の「十牛図」をもとにしたものと説明され、H殿と私は「牛」とは何かと考えた。ようやく牛がみえてきたというH殿と牛はもう必要ないという私とでは、「牛」の意味がずいぶん違いそうだ。Tに言わせれば「それぞれの牛でいいのだ」というが、難しいことはわからない。

 

 

 

 

     一番に生まれし島や山笑ふ

 

 

 

 

 

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明石大橋と慶野松原

 

春の野

 春休みの一日をさいてY一家が来てくれた。昔から上の孫が来ると雨になる確率が高く、今回もまさかの曇のち雨。花見には生憎である。それでもと昼食の後近くの白山神社に寄る。花見に来る人がいるわけでもない神社だが、山を背後に長い参道があり森厳とした趣だ。三本ほどの桜だが八分咲きで小雨に楚々たる風情あり。カメラを持ってなかったので掲載の桜は我が家のものだが、こちらはまだ二分ほどの咲きぐあいだ。他愛もない話をして一緒に夕飯を食べてまずまず幸せな一日。贔屓チームの中日が大勝したのも嬉しい。

 

『用事のない旅』 森 まゆみ著

 ひとの旅行記を読む楽しみは行ったことのない土地を一緒に旅をした気分にしてくれることだが、行ったことのある土地をまた思い出させてくれることも楽しい。

 二章の「旅の空に踊る」で紹介されているいくつかの訪問地。私も訪ねたことのある土地だが中でも懐かしく思い出したのは「湯布院」とか「鶴岡」とか「松山」。ことに「湯布院」に至る「やまなみハイウェイ」の絶景は忘れられない。山焼き終わったばかりの春先で、るいるいと広がる真っ黒な原野に驚いた。あれほど広大な野焼き跡を見たことがない。初めての目には大規模な山火事の跡かと間違えたほど。また「松山」ではあの有名な重文銭湯に入らなかったのはいまでも悔いが残る。ある有名宿に泊まったのだが、中居さんに「あんなところの湯は汚れているからおよしなさい」と言われて止めてしまったのだ。夜のそぞろ歩きで娘が100円を拾ったことなど、どうでもいいことと一緒に覚えているものだ。

  来週は淡路島から徳島を廻ってくる。「ブラタモリ」に触発されたわけではない。四国は徳島が未踏県で前々からの懸案事項だ。

 

 

 

 

     春の野や雀ころころ鶫ぴよんぴよん

 

 

 

 

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用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

 

木蓮

 春はお定まりのように風が強いが陽気はすっかり春めいてきた。ミシンを梱包してクロネコさんの集荷所まで持っていき、買い物をして図書館による。図書館周辺の川べりの桜はすでに満開もある。ソメイヨシノはまだなのでおそらく早咲きのものにちがいない。公園もそぞろ歩きと思われる人が増えている。

 今日は予約しておいた本が2冊、新刊コーナーから1冊、書棚から1冊で合計4冊である。この頃ちっとも気が乗らないのでまずは読みやすい本から手にする。

 森まゆみさんの『用事のない旅』。それにしても森さんは自由人だなあと思う。

知らない町で電車を降りる。

ガイドブックは必要ない。

一人でないとだめ。

全部真似ができない。比べていけない人と比べると気持ちが塞いでくる。スゴイなあと感心して旅の気分だけ味あわせていただくことに。

 我が家も来週は旅の空。もっとも夫共々息子におんぶの旅である。

 

 

 

 

   木蓮のため無傷なる空となる     細見 綾子

 

 

 

 

 

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用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

用事のない旅 (わたしの旅ブックス)

れんげ草

 ウオーキングをしていると少しの間に田舎がどんどん変わってきたことに驚かされる。田んぼだった川沿いには新しい家が並び、竹藪は切り開かれて妙に明るく虚しくなってしまった。こんな田舎にも下水道が通りコンビニもドラックストアも出来て便利になった反面、失ったものもいっぱいだ。町内の総会で毎年のように地区出の議員さんがもうすぐ町内を貫く新道が出来てもっと良くなるというようなことを喧伝されるが、もうそんな道なぞは結構なのである。そんなものが出来たらのんびりウオーキングも出来やしない。

 夢に昔の風景が出てきて懐かしくて絵に描いてみた。たんぽぽの咲いていた畑道やら辻の地蔵堂。広がる桑畑。景色というのは意外と写真などには残っていないものだと今更ながらに残念に思う。

 

 先週から作っていたハイネックのベストだが、やっと出来た。ミシンは故障するは布地や糸が足りなくなるはとさんざんの制作過程でやっと出来たのも今一である。もとはウールガーゼで作るのをありあわせのウールジョーゼットで作ったのだからモデルと比べて違和感がある。襟がクタクタとしなくて気にいらないので折り返してロールカラー風にすることにした。ともかく出来たからミシンの修理を頼まなくては。

 

 

 

 

        ふるさとの消えてゆくなりれんげ草

 

 

 

 

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雪柳

『旅の終わりに』 マイケル・ザドゥリアン著 小梨直

 ジョンとエマは80歳を超えた老夫婦。そのうえジョンは軽い認知症でエマは末期癌を患っている。この二人が周囲の反対を押し切ってというより反対する周囲に内緒で人生最後の旅に出る。行く先はデズニーランド、懐かしの大陸横断道路「ルート66」をたどる旅だ。ちなみにジョンはかってはGMの技術者。荒廃しきったデトロイトが彼らの出発点だ。

 「ルート66」といえば私も懐かしい。ちょうど中学生から高校生の頃だった。「ルート66」というアメリカ製テレビドラマに夢中になったものだ。主演の若い二人の男優にあこがれた思い出がある。もちろん今や「ルート66」は寸断され昔栄えた沿道の街まちも忘れ去られた。

 寂れた「ルート66」も寂れた街も若かった二人が子どもたちを連れて旅をした場所だ。

 死んだのは若かったあの時代、羽をのばした週末、分かち合った痛みや、喜びや嫉妬、ほかのだれにも打ち明けられなかった秘密、ふたりだけの内緒の思い出。

 キャンピングカーでの夜ごとにエマは懐かしいスライドを出す。可愛かった子どもたちやもう亡くなった友人たちとの思い出。そう、旅をしながらたどるのは外でもない二人の人生の軌跡だ。

 携帯電話の電源は切っているが、時おり子どもたちに電話を入れる。「すぐに帰れ。捜査願いを出す」と罵倒され懇願され、でも「こんな楽しいことはないの」と二人は旅をやめない。

 ジョンがエマを置き去りにしたり、追い剥ぎを撃退したり、貧しそうな若い夫婦に愛を恵んだり、豪華なホテルで散財したり、ジョンの切れ切れの記憶に涙したり・・・エマは絶え間なく薬を飲みながらやっと辿り着いた終着地。青い大平洋とデズニーランド。     最後は?

 結末はこの本をこれから読もうと思う人のために書かないことにする。「最期ぐらい好きにさせてよ」というのは希林さんの言葉だったかしらん。「あなたがとやかく言うことじゃない」とはこの本のエマの言葉だ。エマが二人の愛のために選んだ旅だったのだ。

 

 さて、私自身は「老いる」ということにまだあまり感傷的にはならないようにしたいと思う。しかし冷静にすべきことだけはしておきたいとも考える。もう間違いなく折り返し点は遥かに過ぎたのだから。

 

 

 

 

          雪柳ひとにはひとの流儀あり

 

 

 

 

旅の終わりに (海外文学セレクション)

旅の終わりに (海外文学セレクション)

 

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青き踏む

 あまりにいい陽気で本を読んでいたのにいつのまにか居眠り。マイケル・ザドゥリアン『旅の終わりに』だ。認知症の夫と末期癌の妻がいにしえのルート66をたどりデトロイトからデズニーランドを目指す話。Tに「なかなか面白いよ」と言ったら「日本にもよくある話じゃない」と言われた。そう言えば高倉健の映画にあったような。もっとも日本は車じゃないけど。もう少しなのでこちらは読み終わったら感想を書きます。

旅の終わりに (海外文学セレクション)

旅の終わりに (海外文学セレクション)

 

 一昨日から久しぶりに洋裁に熱をあげている。『すてきにハンドメイド』の2月号にあった「タートルネックのベスト」が気に入った。布を買いにゆくか悩んだ末に以前姉に貰った布を思い出し、それで作ることにする。色が自分の趣味ではないがH殿に言わせれば「似合う人は何でも似合うし似合わない人は何でも似合わない」そうで、この歳になれば好みは大きな問題ではないらしい。慰めてくれているのかどうでもいいということなのか、ちょっと真意ははかりかねる。買った本人はスカートでも裁つつもりだったらしく用尺がやっとのうえに長い間の保存で虫食い穴まであって(ウール地なので)裁断に苦労する。工夫して裁断して縫っていたらミシンが故障する始末。「戻り縫いのレバー」が動かない。通販で買ったミシンなのでメーカーに電話をすると、宅急便で大阪まで送って欲しいと言う。この重いものをと思うが仕方がない。ともかく前には進むので残りを縫い上げてから送るつもりだ。こちらももう少しで出来上がりなので出来たら載せます。

 

NHKすてきにハンドメイド 2019年 02 月号 [雑誌]

NHKすてきにハンドメイド 2019年 02 月号 [雑誌]

 要するにあれやこれややっていてどれも完遂出来ないという話だがまずは明日は雨になるというので「墓参り」に。

 

 

 

 

         青き踏む出会いし鳥の名を数へ

 

 

 

 

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 我が家のカバープランツのハナニラ