今宵、中秋の名月。旧暦八月十五日の月である。真円のお月さまではない。月の運行と暦にズレがあるのは知っていたのだが、十五夜が必ずしも月齢と一致するものではないということはあまり気にも留めていなかった。。ちなみに今日の月齢は13・9。暦によれば望は明後日である。「芋名月」とも呼ぶ習いで、うちでは団子ではなく芋を供える。H殿が里芋を初収穫。夏に雨がちだったのでよく出来ていた。

 

 夕刊で原爆供養塔を守り続けた佐伯敏子さんが亡くなったことを知った。97歳だった。佐伯さんのことは堀川恵子さんの著書で知り、心に残っている。最近原爆の最後の生き証人ともいう人々の訃報が相次ぐ。さて、同じ夕刊で佐藤正午さんの「直木賞を受賞して」という寄稿あり。気骨のあるいい話。

 

 

 

 

 

     夫呼べば月の光を浴びに立つ

 

 

 

 

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吾亦紅

街道をゆく 9」 司馬 遼太郎著

 また、司馬さんを読んでいる。先週・先々週と三週ばかりNHKの「ブラタモリ」の高野山を見たので、司馬さんの「高野山みち」を再読。これは朝日文庫の「街道をゆく」の9に入っている比較的短い話。改めて読んで興味を引いたのは「高野聖」の存在。聖といっても僧でなく俗でなく「宗教を売りものにする乞食同然の者」。もっとも中世での話である。彼らが弘法大師の功徳を売り物に諸国を巡り、大師信仰を広めたというのである。あの町石といい、奥の院の競った墓石群といい彼らの内の「大物級の者が、中央、地方の権門勢家に説いて寄進させたものにちがいない」と司馬さん。その大物級の聖のひとりに重源上人の名が出てきたのは驚いた。東大寺の大仏殿の再建に尽力した重源である。春に訪れた播州小野の浄土寺もやはりかれの発願で、勧進聖としては桁外れの人物だったらしい。東大寺にある運慶作の上人像の梅干し顔が目に浮かぶ。重源さんは阿弥陀信仰が深かったようだが、かってはそういう異端も含めて「高野山」であったらしいのだ。

 

 一気に朝晩は小寒いほどになり、昨日は暖房も用意した。何となく元気がでないままに本ばかり読んでいて俳句もできない。

 

 

 

 

     生い立ちの地を離れずに吾亦紅

 

 

 

 

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鳥渡る

「北のまほろば」 司馬 遼太郎著

 先日の赤坂さんの本に刺激され、再読。久しぶりに司馬さんのたかだかした文体に接して快かった。それは、まさに司馬さん流の喩えをつかえば、秋空に浮かぶ白雲のような快さである。

 「北のまほろば」は全編青森県紀行。津軽と南部(旧南部藩岩手県北部も含む)下北半島についてである。改めて読んで見ると、司馬さんの紀行文は風景に触れることもあるが、大半はそこに生きた人々の人物伝である。この本でも津軽を興した津軽為信という男や太宰治棟方志功記念という表現者たちに触れることが多い。また、この地域は本州で唯一中央の支配の及ばなかった蝦夷の地域で、かつ豊穣な狩猟と採集の文化を持ち、稲作においてすらかなりの先進地(いつのまにか途絶えてしまうのだが)であったことなどが書かれていた。まさに「北のまほろば」である。

 司馬さんの「街道をゆく」シリーズはかって夢中で読み、ほとんどが書棚にある。これらの本を片手に出かけることが楽しみでもあったが、こうした司馬さんの語り口にもう触れることはないと思うと赤坂さんではないが残念である。

 

 世俗の話になるが、衆議院での自己都合解散、それに伴う自己都合の離散融合、全く納得できない。こういう信念も理想もない人たちがリーダー面をしていると思うと情けない。つくづく絶望的気分。

 

 

 

 

     北上川背骨のごとし鳥渡る

 

 

 

 

北のまほろば―街道をゆく〈41〉 (朝日文芸文庫)

北のまほろば―街道をゆく〈41〉 (朝日文芸文庫)

秋晴

「犬心」 伊藤 比呂美著

 帯紙に「これはいのちのものがたり」とある。タケというシェパード犬の老いて死ぬ話である。タケは「散歩と食べ物には人間離れした熱意をもっているだけで、あとは、人と暮らすのとあんまりかわらない。」という伊藤さんの愛犬。十三年生き、すっかり老いさらばえ、大好きだった散歩もやっとのことになり、糞尿も垂れ流し、そして死んでいく話。伊藤さんは傍の「安楽死」を勧める言葉に耳を貸さず、黙々と糞尿の世話をして死に近づいていくタケの面倒をみた。伊藤さんにとってはタケの姿は同じように老いて死に近づいていくお父さんの姿と重なっていた。実際タケの世話をしつつお父さんの介護も同時進行だったようで日本との行き来も含めて並の心労ではなかったはずだ。それでも彼女はこの本を書くことで、やり遂げた。凄いものだ。お父さんは先に亡くなりやがてタケも天寿を全うした。

 ペットロスの辛さはものすごくわかる。我が家ももう十年近くなるのに姿を消した猫を思い出す。人と違うが「犬心」というのも「猫心」というのもあるような気がする。伊藤さんはタケ以外の愛犬ニコに加えて晩年のお父さんに寄り添ったルイもアメリカに連れ帰り、二匹の「犬心」を大事にしながら暮らしておられるようだ。悲しかったがいい話だった。

 

 

 

 

     秋晴の駅より下る港町

 

 

 

 

犬心

犬心

木の実

司馬遼太郎東北をゆく」 赤坂憲雄

 面白かったからとTから回ってきた一冊。確かに面白く、久しく忘れていた司馬さんの快い語り口も思い出す。赤坂さんは東北地方をフィールドに活動中の民俗学者。東北大地震を経ても、西の人びとにとっては東北はやはり遥かで疎遠な土地ではないか。そんな思いに駆られて、西国人の司馬さんの「東北紀行」ともいう六冊の『街道をゆく』を読みなおしたという。そして司馬さんの東北紀行を貫いているのは「深い憧れと贖罪の意識」だと確信する。古代蝦夷への王化政策で寒冷な地に無理やり稲作を導入したことから始まり、明治維新での会津藩への過酷な仕打ちなど、東北地方に対して正義のドグマを振りかざしてきた中央への司馬さんの批判は、また今日の赤坂さんの中央への怒りでもある。一方で平安の都びと以来「歌枕」を通じて延々と繋がる異境の地への憧れ。司馬さんは東北に格別な思いがあったと認めている。当方もここで扱われた六冊の本を片手に東北を旅したのだが、まさに司馬さんの憧れに感化されたからでもあった。

司馬の東北紀行のなかには、東北の人々よ、ルサンチマンを超えて、みずからの豊穣なる詩的世界を解き放て、という朗らかなメッセージがこだましている。東北はすでにして、偉大なのであるから。

 司馬がさんの本から赤坂さんが読み取った熱いエールである。それにしても、コメという呪縛から自由であったなら「そこは蜜と乳の流れる山河になっていたかもしれない」という司馬さんの指摘は何度読んでも心に沁みる。何年か前、よくわからないナビに導かれて広大な岩手の丘陵地帯を走った時の思い出とともに。

 

 

 

 

     三内円山北のまほらの木の実かな

 

 

 

 

司馬遼太郎 東北をゆく

司馬遼太郎 東北をゆく

彼岸花

 良くない時には良くないことがかさなりがち。Tに言わせれば「デフレスパイラル」である。玄関の僅かな段差に引っかかて派手に転んでしまった。蛙のようにぺっちゃんこになって膝と肩を打った。膝は軽い打ちみだが、無理に開いた肩が思わしくない。動かないことはないがかなり痛い。思ったより運動機能が落ちているので何事も慎重にと思っていたのに、この有様。H殿も足が挙がってなくて階段で打つことがあるというが、歳をとるというのはこういうことかと情けない。

 図書館に出かけた。前もって借りる本を決めて行く時はそれなりに収穫があるのだが、何となく書棚を見渡して探すときは収穫がない。以前にも書いたかもしれぬが目に付く名前は物故者ばかり。当然ながら新しい本はない。結局、倉本聰さんと伊藤比呂美さんを借りてくる。新聞で紹介していた堀川恵子さんの新刊もあったのだが、戦争前夜のような今の気分では戦争物はちょっと読む気がしない。「圧力」ばかり言っていないでなんとか「対話」の道を探ってくれと言いたい。

 秋分の日。変わらない季節の訪れにほっと。

 

 

 

 

     川べりの同じところや彼岸花

 

 

 

 

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秋光

芭蕉庵桃青」 中山義秀

 なかなか読み応えのある一冊だった。時に翁の行脚に付き合い時に翁の孤愁に寄り添い、一句一句を読み継ぎようやく読み終わった次第。裏表紙に「義秀文学畢生の力作」と紹介されていたが織り込まれた発句や連句の数多さからも、芭蕉の風姿、蕉門俳句の全体像が立ち上がってくる。それにしても、筆者の病死で未完となったのは残念。あとがきによれば後二回のことであったらしい。しかし、世俗の幸を求めず清貧に身を晒しひたすら風雅の道をもとめて生きた芭蕉の姿はしっかりと伝わった。以前読んだ嵐山さんの翁像とは違って一切の俗姿を排した翁像である。

 この本で今まで読み慣れてきた秀句がどんな状況で詠まれたかがよくわかったが、一つの秀句をものにするにはかなりの推敲があり、時には虚構も混じえての創作があったこともわかった。俳聖にしてこれだけの苦心努力である。読み捨てて憚らない当方とは比較にならない。「冬の日」から「猿蓑」まで連句の一部ももちろん取り上げられているが、連句の風趣はどうもわからない。筆者も「一読したばかりでは前後の脈絡がつかめず、その醍醐味にふれることができない。」と書いているが、当方のような浅薄な知識ではしょせん無理なことなのだろう。

 子規は芭蕉をあまり評価しなかったと聞くが芭蕉はやはり「俳聖」にちがいない。

 

 

 

 

     秋光や喪服の人と同船し

 

 

 

 

芭蕉庵桃青 (中公文庫)

芭蕉庵桃青 (中公文庫)