長崎忌

 台風が去って、青田を渡ってくる風には少しだけ秋の気配。日向はむろん猛暑日を記録する暑さだが、日陰の風は冷房より心地よい。おかげで珍しく長時間の昼寝。そうそう、畑にトンボが群れだした。

 先週の新聞に「鹿島茂さんが新聞や雑誌などに公表された書評をネット上で公開、アーカイブ化する試みを始めた。」との記事。早速公開されたウェブサイト「オール・レビューズ」を訪問。つまみ読みだが、何冊かの気になった本を図書館のサイトで検索、予約を入れたりする。これは面白い本を探すのに役立ちそうだ。

 今日は「長崎忌」。長崎と言えば林京子さんだが、以前に触れたので今日は書かない。こんな日なのに、グアムを攻撃するなぞという嫌なニュース。挑発しあっているうちにとんでもないことにならないことを願うばかり。

 

 

 

 

  姉ちゃんたちは燃えてしもうた長崎忌 松崎 鉄之介

 

 

 

f:id:octpus11:20170809151216j:plain

 

 

 

 

今朝の秋

 二十四節気の「立秋」。秋の気配がほの見える頃というが、あいにくの天候。風はあっても不穏な先行きを感じさせ、時折ザーとくる雨で蒸し暑い。

 閉じこもって本でも読むしかなしと、図書館で借りた宮部みゆき。短編が四編入った単行本。内二編を読む。この作者は会話のやり取りで話が展開する書き方だ。説明的でないから臨場感があるが、短編なので謎解きの醍醐味はそれほどではない。二つとも結末に救いのあるのがいい。こういうのは作者の人柄なのかもしれない。

 一応暦の上では秋になったのだから、夕食までのひとときは俳句の整理でもしようか。秋らしいものは何もないが「女郎花」は盛り。

 

 

 

     今朝の秋澪長々と出漁す

 

 

 

 

希望荘

希望荘

 

f:id:octpus11:20170807145116j:plain

 

 

 

 

原爆忌

 NHKで「八月六日が広島への原爆投下日と知らない人が70%ある」と言っていた。一方で、広島の高校生が被爆者の話を聞き、悲惨な状況を絵画に残すことをしているとも伝えていた。我々のようなトシヨリでも戦争体験は人づてなのだから、風化は仕方がないことかもしれない。が、いまや核兵器をもてあそぶような国があるからこそ、あの悲惨さはなんとしても伝えていかねばならないと思う。

 「黒い雨」読了。原民喜「夏の花」も読む。

 慰霊式に首相が出ている。核兵器禁止条約に不参加でいて「核保有国への橋渡しになる」とは何ともしらじらしいこと。

 

 

 

 

     原爆忌内なる川の音を聞く

 

 

 去年と同じ句です。この季語ではこれしかありません。

 

 

f:id:octpus11:20170806162557j:plain

 

 

夏の雲

 昨日、美容院で「11日(山の日・祝日)で休みます」の張り紙をみつけて、自分のうかつさに初めて気づく。「山の日なんて、いつからできたの」とスッタフに聞くと「去年からですよ。お盆に長期休みを取らせようという政府の魂胆でしょ。12日は御巣鷹の日だから、さすがに一日とばしたらしいですよ。」と教えてくださる。去年から毎日が日曜日になった身は、全く失念していた。

 さて、「鎮魂の月」の八月には、毎年「戦記物」を読むように心がけているので、今年は井伏鱒二の「黒い雨」の再読とした。これは昭和41年度の「野間文芸賞」の受賞作品だから、おそらく初読は大学時代だと思うのだが、読んだという以外の記憶がない。楽しい話ではないので遅々として進まない。井伏さん自身は被爆体験がなかったと思うので取材だけで書かれたと思うと、今さらながら筆力を感じる。

 はっきりした夏空を見ないままに暦の上での夏は、残り少なくなった。

 

 

 

 

     息継ぎのたびに目に入る夏の雲

 

 

 

 

黒い雨 (新潮文庫)

黒い雨 (新潮文庫)

 

三尺寝

「沖縄の歴史と文化」 外間 守善著

 昨日の朝刊に「列島の南北を結ぶ縄文土器」とあって、沖縄北谷町での出土品が亀ケ岡土器の破片であったと紹介されていた。亀ケ岡といえば東北も最北端で、最北端と最南端がすでに先史時代から結びつきがあったというのがとても興味深い。

 この本でも沖縄の文化に触れて大陸系、南海系もあるが前者の方の密度が濃く、それも本土の九州を経由して入ってきたものだとある。なんといっても沖縄語は日本祖語から分岐したもので、2・3世紀ごろのことらしい。

 沖縄と本土の大きな違いは歴史発展の落差が800年から1000年もあることで文字の伝来や使用が13世紀、鉄製農具の普及が14世紀、中央集権的国家の成立が15から16世紀、地の利を活かした貿易国家として盛大に栄えるのだが、その豊かさに目をつけた薩摩に武力で制圧され、幕藩体制に組み込まれてしまう。その後は「同じ日本人なのになぜ沖縄だけが負の部分を背負わねばならないか」と怒りと嘆きで語られてる現状そのままである。

 沖縄の歴史や文化については、正直に言ってよく知らなかった。概要ではあるがこの本を読んでおぼろげながらつかむことができた。この本にあった沖縄出身の詩人。山之口獏の詩から。

   

   島の土を踏んだとたんに

   ガンジューイとあいさつしたところ

   はいおかげさまで元気ですとか言って

   島の人は日本語で来たのだ

   郷愁はいささか戸惑いしてしまって

   ウチナーグチマディン ムル

   イクサ二 サッタルバスイと言うと

   島の人は苦笑したのだが

   沖縄語は上手ですねと来たのだ

 

 

 獏の戸惑いが目に見えるようだ。今の若い沖縄県人は沖縄語がわかるのだろうか。

 

 朝からカー公が柿の木に騒がしい。見ていると蝉を捕獲している。短い命をカー公に捕らえられて哀れ。

 

 

 

 

 

     泥の身を泥のごとくに三尺寝

 

 

 

 

沖縄の歴史と文化 (中公新書)

沖縄の歴史と文化 (中公新書)

f:id:octpus11:20170801073043j:plain

 

甚平

「バッタを倒しにアフリカへ」 前野 ウルド 浩太郎著

 Tがすごく面白かったというので、回してもらう。その評価に違わず、面白く一気に読んだ。

 前野さんは昆虫学者である。博士号を取ったものの、好きな昆虫の研究をしながらどう生活を成り立たせていくか悩む。悩んだ末に好きなバッタの研究と社会貢献・生活手段の獲得といくつもの夢を抱えてアフリカ、モーリタニアに移住。モーリタニアとはスーパーで買う蛸の産地ぐらいしか知識がなかったが、あのすざましいバッタの害に苦労している国のひとつらしい。その国のバッタ研究所に席を置きながら研究をしようとするのだが、あいにく任期の二年間の間にバッタの大発生が起きない。軍資金は尽きようとするし、先は見えないし、さすがの彼も意気消沈するのだが・・・。起死回生の一部始終については興味のある方は読んでいただきたい。逆境でも夢を叶えんと奮闘する努力も、めげない使命感も、自分の能力への自信も、彼の人柄なのだろうがいくつかの出会いと幸運も読む者を惹きつける。

まだまだ研究途中のようだが、立派な研究成果が出て殺虫剤に頼らない「バッタ被害」対策が叶ったらと願わずにはいられない。

 

 掲載句。それこそバッタの脛のような父の脛を見ていて出来た一句。「お前たちが齧ったからなあ」と言っていたっけ。明日は父の祥月命日。

 

 

 

 

     甚平や男の脛の細きこと

 

 

 

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

水を打つ

「古代蝦夷の英雄時代」 工藤 雅樹著

 「蝦夷」とは何か。時代によってエミシ・エビスの概念は変わるが、要は「大和朝廷の支配の外にあった人々である」。初期には関東以北の人々を指すときもあったが大和朝廷勢力の拡大とともに同化が進んで、奈良時代後半以後は東北北部の人々を指した。エミシの社会はリーダを頂く部族社会で、時には朝廷側と戦い、時には交易し、時には従属し、時には部族間で争いと、ひとくくりにはできない歴史を刻んだようだ。部族社会のリーダーだったアテルイやモレ等は部族成員の先頭に立って行動する、まさに「英雄」だったが、部族社会を組織して古代国家の王になることまでは出来なかった。最終的には、蝦夷の後裔と称した平泉藤原氏が、北の果てで「奥六郡の王」ともいうべき地位を築いたが、鎌倉幕府の攻略で滅びた。それをもってエミシと呼ばれた人々は日本民族とその文化に組み込まれたという。

 その後「蝦夷」という概念はエゾとしてアイヌ民族を指すものになったが、エゾもまたシャクシャインの蜂起を到達点に和人の支配に屈するのである。

 「日本とはなにか」という疑問から読み始めた一冊だが、読み応えのある内容だった。東北地方にはアイヌ語でしか説明のつかぬたくさんの地名が残こり、それを考えても「古代のエミシはアイヌ民族との成立の谷間にあった人々」であり、「歴史の歯車が違う形で噛み合っていたらアイヌ民族の一員にもなり得た存在」という指摘はとても興味深かった。

 確か京都清水寺の境内には蝦夷の首領「アテルイ・モレ」の供養塔があった。坂上田村麻呂と和平を結び、はるばる都まできたのに処刑された二人である。彼らの無念を思い後世の人建立した記念碑だ。今日の日本に至るまで、悲しい敗者の歴史があったことは忘れてはならないと思う。

 これで北の人々については大まかなことがわかったので、こんどは南の人々のことを知らなければ。

 

 

 

 

     水打って決勝戦の始まりぬ

 

 

 

古代蝦夷の英雄時代 (平凡社ライブラリー)

古代蝦夷の英雄時代 (平凡社ライブラリー)