水を打つ

「古代蝦夷の英雄時代」 工藤 雅樹著

 「蝦夷」とは何か。時代によってエミシ・エビスの概念は変わるが、要は「大和朝廷の支配の外にあった人々である」。初期には関東以北の人々を指すときもあったが大和朝廷勢力の拡大とともに同化が進んで、奈良時代後半以後は東北北部の人々を指した。エミシの社会はリーダを頂く部族社会で、時には朝廷側と戦い、時には交易し、時には従属し、時には部族間で争いと、ひとくくりにはできない歴史を刻んだようだ。部族社会のリーダーだったアテルイやモレ等は部族成員の先頭に立って行動する、まさに「英雄」だったが、部族社会を組織して古代国家の王になることまでは出来なかった。最終的には、蝦夷の後裔と称した平泉藤原氏が、北の果てで「奥六郡の王」ともいうべき地位を築いたが、鎌倉幕府の攻略で滅びた。それをもってエミシと呼ばれた人々は日本民族とその文化に組み込まれたという。

 その後「蝦夷」という概念はエゾとしてアイヌ民族を指すものになったが、エゾもまたシャクシャインの蜂起を到達点に和人の支配に屈するのである。

 「日本とはなにか」という疑問から読み始めた一冊だが、読み応えのある内容だった。東北地方にはアイヌ語でしか説明のつかぬたくさんの地名が残こり、それを考えても「古代のエミシはアイヌ民族との成立の谷間にあった人々」であり、「歴史の歯車が違う形で噛み合っていたらアイヌ民族の一員にもなり得た存在」という指摘はとても興味深かった。

 確か京都清水寺の境内には蝦夷の首領「アテルイ・モレ」の供養塔があった。坂上田村麻呂と和平を結び、はるばる都まできたのに処刑された二人である。彼らの無念を思い後世の人建立した記念碑だ。今日の日本に至るまで、悲しい敗者の歴史があったことは忘れてはならないと思う。

 これで北の人々については大まかなことがわかったので、こんどは南の人々のことを知らなければ。

 

 

 

 

     水打って決勝戦の始まりぬ

 

 

 

古代蝦夷の英雄時代 (平凡社ライブラリー)

古代蝦夷の英雄時代 (平凡社ライブラリー)

道をしえ

 梅雨に戻ったような天気で、気も晴れぬ。各地の豪雨による災害を知ればますます気は重くなる。加えて国会での集中審議。少しだけ見ていたのだが、嘘やごまかしをせざるを得ない顔というものは見ているだけで情けなくなる。能面のような白塗り顔はともかく、いずれも目が泳いで頬が引きっつていた。カメラというものは嘘はつかないものだと痛感する。

 現在読書中の本は遅々として進まず、気分転換にミシンを出す。半額で買ってきたリップルの夏生地。印付けもせずジャキジャキと切って夏スカートに。

 

 掲載句は岡崎の「瀧山寺」にでかけた時の一句。あの三浦じゅんさんが一番好きだと言ったとか、運慶・湛慶作の美しい三尊像(聖観音梵天帝釈天)がおわします。国宝でもおかしくないのに、そうでないのは江戸時代の彩色のせいらしい。少し不便だが一見の価値があります。

 

 

 

 

     この鄙に運慶仏や道をしえ

 

 

 

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蝉時雨

「芸人と俳人」 又吉直樹×堀本裕樹著

 俳句は全くの素人だという又吉さんを相手に俳人の堀本さんが手取り足取り解説する俳句の入門書。特別に目新しいことはないが、そこは多彩な又吉さん相手。反応がユニークだ。又吉さんは相当自意識の強い人だなあと思う。

そして、言葉(概念)の取り合わせ次第で、たった十七音で限りなく大きな情景も深い心情も表現できる俳句は、改めて素晴らしい表現形式だと思う。

掲載句より

    激情や栞の如き夜這い星

    爪切りと消しゴム競ふ絵双六    又吉直樹

    鳥雲に手のひらを待つ占い師

    猫じやらし海風じやらすばかりなり  堀本裕樹

 

 今日は二十四節気の「大暑」。「蒸熱酷暑を感ず」の謂。梅雨明け十日と聞くが大気は不安定。

昨夜は近くのグランドから花火が上がった。数は少なかったが身近な花火でなかなか良かった。

 

 

       講義中閉めに立つまで蝉時雨

    

 

 

芸人と俳人

芸人と俳人

 

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夏の雲

 今日から「夏休み」。朝からラジオ体操に出かける子どもたちの声が賑やか。熊蝉の共演も実に喧しい。畑の夏野菜はもりもりと茂り、最盛期。昨日の朝、胡瓜を五本収穫したと思ったら夕方には二本、さらに今朝は四本の獲り頃。だんだん配るところもなくなってきた。

 

 気に入っているNHKの自転車での日本縦断「こころ旅」、「2017春の旅」は今日が最終日。昼の放映にも夜のとうちゃこ版にも食事時間を合わせて見てきたので、当分の間寂しい。各地の見知らぬ風景を見られるのもいいが、火野正平さんのくだけたキャラクターも楽しい。添えられたお便りもいつも感動的で感心する。東日本大震災後に始まったようだが、正平さんもかなり高齢になられたのでいつまで続くか心配だ。取り敢えず秋の旅は決まったようなので、九月末の再開が待たれる。不満があるとすれば、岐阜の訪問が少ないこと。秋の旅も長野県から愛知県へと向かうようで本県は寄らない。

 

 写真は我が家のゴチャゴチャ畑。野放図なひまわりの群落はH殿に言わせれば「雀の楽園」。確かに枝を揺らして種を食べ、雀たちは楽しそうだ。私としてはもう少し整然とさせてほしいのだが。

 

 

 

 

     海獣の尾びれの叩く夏の雲

 

 

 

 

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白シャツ

 ぼんやりこの地方のニュースを見ていたら、高山市を訪れる外国人観光客が増えて、今や「特急」の三割は外国人だという。高山も随分有名になったものだと驚く。

 当方が初めて訪れたのは大学時代のサークルの合宿でだった。山沿いのお寺の本堂を借りての合宿で、もちろん当時は高山線蒸気機関車。庫裏を借りて自炊をしたのだが、町中に八百屋というのがなくて「ここらは朝市でかってくるのだ」と教えられたのが忘れられない。今のような作り物めいた町並みではなく、静かな田舎町だったように思う。夜は満天の星空で、誰かが「空が近い」と叫んだことなども覚えている。あれから何回か出かけたが、あの時ほど心に残る思い出はない。キザっぽく言えば、青春の真っ只中。「わたしが一番きれいだったころ」である。

 今日、ある方のブログに柴田翔「されど我らが日々」を取り上げてあったことから、こんな感傷に浸った。この本と高橋和巳「憂鬱なる党派」があの頃の思い出の一角にある。

 

 

 

 

     数式を解く白シャツの腕まくり

 

 

 

 

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滴り(したたり)

「崩れ」 幸田 文著

 この頃の異常気象による山崩れや酷い時には山体崩壊などという事象を見ていて、幸田さんの「崩れ」を読み直したいと思った。幸田さんはこの作品の取材時が72歳、まさに同年齢だというのも再読を促したきっかけかもしれぬ。案の定、昔なら読み飛ばしてしまったような細部に立ち止まったり、納得したり。過酷な道中での老いの身体の難儀さも、この時しかないという箍の外れた好奇心も今ならよくわかる。

日本三大崩れはもとより男体山桜島の崩れもみたことはないが、雲仙普賢岳の大火砕流の跡地は間近に目にしたことがある。大災害の十二年後ぐらいだったと思うが、馬力の乏しい小さなレンタカーでやっと登り詰めた山道から見た一面の滑地。山頂から麓まで一気に刷毛で掃いたような滑り台。まだ草木も寄せ付けぬ赤茶けた砂礫とところどころに転がる大岩。幸田さんではないがまことに言葉を呑む厳しさ恐ろしさであった。

こういうのは邪道であろうが、今はネットで検索して行かずながらにしておおよそはわかるので、幸田さんの文章を読みながらいちいち検索をした。それにしても盤石と思われる大地のなんと崩れやすきことか。異様と思われるほどの防砂ダムのつながりを目にする。端麗でかつ恐ろしくも厳しいこの国の自然、幸田さんを突き動かした思いもまさにそこにあるのだろうと思う。

 

 

 

 

     滴りや刻々と減る持時間   大牧 広

 

 

 

 

 

崩れ (講談社文庫)

崩れ (講談社文庫)

 

 

浴衣

 夕餉の支度をしながら名古屋場所の中継を見るともなく見ていた。相撲観戦にも「浴衣デー」なんかがあるのかしらんと思うほど浴衣で観戦の人が多い。今日は力士の人たちの浴衣も紹介していて、これもなかなか華やか。なんでも幕内になると独自な浴衣をこしらえて親しい仲間や贔屓筋に配る習いがあるらしく、自分の浴衣を着るのでなく、頂きものの浴衣を着るのが本筋のようだ。

 幸田文さんが「番茶菓子」の「夏のきもの」で

ゆかたを褒めれば、これは肌に情けらしい著物だということだ。糊を置いて著れば・・・ゆかたは肌を離れて風を入れてくれるからだ。糊を落として著れば、・・・肌に添って冷を防いてくれるからだ。

 と浴衣礼賛を書かれているが、着慣れない者にはやはり暑い。白地に大胆な藍模様なぞ着てみたくはあるが憧れだけ。旅先で貸してくれるという時もたいていは持参のルームウエアでご辞退する。ダラダラと甘やかした身体のせいか、「清々しい直線の堅さ」という浴衣姿にはほど遠い夏姿である。

 

当地周辺は今日は酷い降り。全国ニュースでも取り上げられるほどだったが、我が家あたりはたいした被害もなくまずまず。最近は「異常気象」がちっとも異常ではなくなっているのが異常ですね。

 

 

 

 

     浴衣着て銀のペディキュア光らせり

 

 

 

 

番茶菓子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

番茶菓子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

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